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SF文庫データベース
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(2011年12月~)
SFマガジン掲載書評(1995~2001)
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創元SF文庫の歴史 History of Sogen SF Bunko
第2回 ドラキュラはなぜSFだったのか?(1963年12月~1965年2月)
今なら怪奇小説の古典として名高い『吸血鬼ドラキュラ』がSFマークに入ってしまった理由は何なのか。厚木淳は先述のインタビューで「最初のころのSFマークは空想科学小説と怪奇小説を一緒にした部門だったのね。僕はね、SFマークを作るとき、創元SF文庫として名前も変えたほうがいいと提案したの。そしたら、営業部から猛烈に反対されたんだよ。書店でもうひとつ棚をとるのが大変だって理由で。」と語っている。要するに本格、サスペンスなど狭義の推理小説に該当しないものをすべて「SF」の名でくくってしまったということなのだろう。第六弾のヴォークト『宇宙船ビーグル号の冒険』(1964年2月5日刊)には何も記載がないが、第七弾のウエルズ『透明人間』(世界大ロマン全集からの再録/1964年2月28日刊)の裏表紙に付されたマークの分類表には確かにSFの下に「空想科学小説/怪奇小説」と記されている。
この方針のもと、既にスリラー・サスペンス部門から刊行されていたドイルの怪奇冒険小説『クルンバーの謎』(世界大ロマン全集からの再録/1959年10月23日刊)がSF部門に組み込まれたのが1964年7月31日刊の五版から。ちなみに、初期の巻末目録に『クルンバーの謎』が本格部門から刊行されたように見える記載があるが、これは便宜上同一作家は同一箇所にまとめられていたためであり、初版はあくまでもスリラー部門=ネコマークからの刊行である(1959年当時、創元文庫にカバーはなく、帯にマークがあった)。
1964年夏の段階で、刊行されていた創元SFマーク計8冊のうち半数に当たる4冊が世界大ロマン全集からの再録であるから、なるほど厚木氏の言葉通り、SFと怪奇冒険小説が混在している。SFというマークは狭義のミステリに収まらない作品を収録するための、極めて混沌たる存在であったのだ。
しかし、その混沌もそれほど長くは続かなかった。1964年の夏以後、ハインライン『太陽系帝国の危機』、ブラッドベリ『何かが道をやってくる』、クラーク『銀河帝国の崩壊』、アシモフ『暗黒星雲のかなたに』といった、当時は極めて活きのいいSFプロパーの作家たちを続々と刊行し始めた創元SFマークは、1965年2月から、SFの説明を「空想科学小説/怪奇小説」から「宇宙科学小説/怪奇小説」へと変更。同年5月刊のベスター『分解された男』からは、他ジャンルと共通であった3ケタの通巻番号を改め、独自に7から始まる3ケタの分類番号を採用する。この時点で、SF部門から『クルンバーの謎』と『吸血鬼ドラキュラ』は姿を消し、スリラー・サスペンス部門へ移行した(『クルンバーの謎』は出戻りとも言えるが、あくまでも目録上の移動であり、ネコマークのついたカバーは存在しない……はず)。
ちなみに『吸血鬼ドラキュラ』はこの後、新設の帆船部門へ移籍し、完訳版を刊行し、現在へと至る。表紙の変遷は以下の通り。左上から右下で、SF→サスペンス→帆船→帆船完訳版→表紙色替え→Fマーク。
https://sciencefiction.ddns.net/sf/database/sogen/50201.htm
SFの説明からも「怪奇小説」は消えた。創刊から2年近くを経て、ようやく単独で創元推理文庫SFマークは「宇宙科学小説部門」となったのだ。『分解された男』の前までで、創元推理文庫SFマークは累計19冊。ここまでを自分は便宜上3ナンバーと呼んでいる。背表紙下の通巻番号を見てもらえばわかる通り、159の『クルンバーの謎』以外は、すべて3で始まる3ケタの数字である。この後は7から始まる3ケタがしばらく続いた後(120冊刊行された)、1973年9月から現在につながる作者別番号が導入される。私見では、この7ナンバーから8ナンバーへと続く8年半(1965年2月から1973年8月まで)が創元推理文庫SFマークの黄金時代だと思われるが、それについてはまた次回で詳しく触れたい。
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