西暦二〇四五年、一部の裕福な人々は自らの肉体を高解像度スキャンにかけ〈コピー〉と呼ばれる存在として仮想空間に生き続けることが可能となった。主人公ポール・ダラムは自らの肉体をスキャンし〈コピー〉を作成して仮想空間で暮らす実験を繰り返しているうちに、ある画期的な理論を思いつく。五年後、ダラムは行動を開始した。〈コピー〉として存在する富豪たちに、破格の安値で永遠の不死を提供しようと申し出たのだ。一方で、ダラムは、単なる仮想空間とは異なるオートヴァース(独自の物理法則に従うコンピュータ・モデル)においてバクテリアの自然淘汰に初めて成功したマリアに接触し、オートヴァース内で進化していく一つの有機体を設計してほしいと依頼する。ダラムが作ろうとしているのは、仮想空間ともオートヴァースとも異なる、TVC宇宙と呼ばれるセル・オートマトンであり、その中心には順列都市と呼ばれる首都があるという。果たしてダラムの計画は成功するのか……。
イーガン作品の特色として、オリジナルとコピーを比較してその差異を無効化し、真のオリジナリティとは、現実とは何かと問いかけること(「ぼくになるために」「真心」など)が挙げられるが、本書では、肉体をスキャンして作られた〈コピー〉とオリジナルとの対立、仮想空間やTVC宇宙と現実世界との比較を通じて、揺るぎ無い大樹のごとく安定しているはずの現実が思いっきり揺さぶられることになる。さらに物語の後半、オートヴァースで独自の進化を遂げた人工生命体ランバート人と〈コピー〉たちとが初めて接触する場面においては、SF史上初ではないかとさえ思われる仮想エイリアンと仮想人類とのファーストコンタクトが繰り広げられ、圧巻だ。科学の最前線を踏まえた上で想像力の限りを尽くしたイーガンの発想の緻密さと大胆さ、そして思索の深さに、我々読者は圧倒され、翻弄されるばかりである。
厚さ二百ミクロン幅数百メートルから成る異星生命体〈絨毯〉とのファーストコンタクトを描いた傑作中編「ワンの絨毯」や本書などを読んでいると、先月号で山岸真氏も述べていたように、イーガンの作家的な資質はベイリーやワトソンよりもレムに近いような気がしてくる。意識とは何か、現実とは何かと問い掛け、想像できないものを想像しようとする真摯な姿勢がレムに共通しているのだ。しかし、その一方で、本書の塵理論に見られるような突拍子もない理論を、精密な実験の描写によって強引に納得させていく、技術的なハードSF作家としての側面もイーガンは備えている。小説の技巧的な面から見ても、本書では、孤独なダラムと母性的なマリア、アウトローとしてのピーとケイト、殺人者としての罪の意識に苦しむリーマンなど、複数の視点から物語を分割しそれぞれのキャラクターに文学的な深みを持たせることに見事に成功しているし、マイケル・ナイマン、ヴェンダーズ(『ベルリン・天使の詩』)などの現代音楽や映画をさりげなく取り入れるコラージュ・アーティスト的な側面もある。とにかくこのイーガンという作家、一筋縄ではいかない奥行きの深さを持っているようだ。絶対に読んで損なしの本書は、『宇宙消失』と合わせて今年度最大の収穫であり、読者にイーガンという作家を強烈に印象づける傑作であることは間違いないだろう。
二十五世紀、地球のトバー入江に住む人々は、多くの神々を信じ、中世的な擬似宗教社会を作り上げている。他の地域と異なり入江の子供たちだけは、二十歳になるまで一年ごとに性が入れ替わり、男女どちらも経験してから最終的な性選択を行うのだ。主人公フリンは《最終性選択》を明日に控えて、男になるか女になるか迷っている。そこへ突如謎の科学者ラシドとトバー入江から追放された《中性》ステックが現れ、入江は騒然となる。彼らの目的はいったい何なのか。また、フリンが最終的に辿り着いた結論とは……。
解説を担当したので詳しくはそちらを参照してほしいのだが、設定の巧さと謎解きの面白さはもちろん、一人の若者が冒険を通じて村の秘密を知ると同時に自らも変容していく一種の成長物語として本書は優れている。科学的なバックボーンもしっかりしており、キャラクターも個性的だ。トリックスターとしての《中性》に視点を移せば、既成の男性中心社会を崩壊させる見事なジェンダーSFとしても読めるだろう。派手さはないが、落ち着いた語り口で物語を楽しむことができる佳作である。
二十一世紀初め、夢や記憶を頭の中から取り出す技術が開発された。主人公ハップは他人の夢を頭の中で処理する能力が優れているため、短期記憶人(レムテンプ)として会社に雇われ一晩にいくつもの夢を処理している。雇い主の命令で記憶も扱うことになったハップは、殺人を犯したローラという女性の記憶を預かってしまう。犯罪者の記憶を預かることは違法行為なのだ。早速ローラを探し出して記憶を返そうとするハップだが、ローラは自殺を図り、助けたハップは謎の男たちに追われることになる……。
前作は、二百階の巨大飛行機と〈ギャップ〉という仮想空間とに舞台が分散して「焦点が絞り切れていない」と評した記憶があるが、今回はロサンゼルスを舞台にローラの秘密を探るという物語の核があり、すっきりとまとまっている。話す目覚まし時計や冷蔵庫、街の形をとった仮想空間などの細かなアイディアは秀逸だし、アブダクションと主人公の特殊能力を絡ませた最後の大技にも驚かされたが、やはり本書の面白さは、気まぐれで翳のある美女ローラやハップの元女房ヘレンなど登場人物(特に女性陣)の魅力にあるのでは。重いテーマを軽くまとめてみせた作者の才気が光る作品だ。