ハーウッド心療クリニックを脱走して患者のエミリーと結婚したレイモンドは、ある強迫観念に取りつかれていた。幻想的な童話『ゾッド・ワロップ』の中の登場人物と自分を同一視しているのだ。魔法使いになりきったレイモンドは、その童話の作家ハリーの家へとやって来る。はじめは、狂人のたわ言と思って相手にしていなかったハリーだが、徐々に非現実的な出来事が現実を侵食し始めるようになり、童話の世界に巻き込まれていく……。
現実だと思い込んでいる世界が一瞬崩壊して、その裏にある別世界を垣間見せる怖さというのは、SFやファンタジイの十八番とも言うべきテクニックであるが、本書の作者スペンサーは、これが実に上手い。病院でハリーがふと振り返ると受付係が何時の間にか沼魚人になっていたり、ハリー達が閉じ込められた病室が「寒気と泥、黒水の血臭」の漂う石造りの古城に変わったりする場面転換の切れ味の良さは、ディックの諸作やギリアムの映画(『フィッシャー・キング』など)に匹敵するものがある。
多数の登場人物に、それぞれ現実の世界と童話の世界との二重の役割を持たせて描き出す手腕も見事だし、フロリダ州セントピーターズバーグにすべての登場人物が集結するクライマックスまで読者を引っ張っていく構成も巧みだ。注意して読めば、本書は一見でたらめのようでいて実は緻密に計算された作品であることがわかるだろう。技術の巧さに加えて、筆者が感動したのは、本書の結末が、肉親の死を乗り越えて現実に立ち向かうことを謳いあげた前向きなメッセージになっていることだ。ヴォネガットを連想させる部分もあるが、スペンサーの作風は彼ほどシニカルではないと思う。ファンタジイ、SF、といったジャンルにとらわれずに、是非とも多くの人に読んでもらいたい佳品である。
完全記憶能力を持つ天才ピート・アームストロングは、幼い頃弟が殺された事件をきっかけに、百パーセント確実な嘘発見器の制作に取り組むこととなる。それさえあれば、全ての犯罪は消滅し、政治と司法が飛躍的に発達するはずだ。苦労の末、二〇二四年にトゥルース・マシンが完成し、二十五年後、世界は一変した。しかし、そこで明らかになったのはピート自身の犯罪だった……。
各章の冒頭にソ連邦崩壊やオウム事件といった実際の事件の報道が織り込まれ、徐々にそれが未来の事件の報道へと移っていくため、読者は自然に未来社会へと誘われていく。近未来の政治状況がここまで詳しく描写された作品は他に類を見ないのではないだろうか。ピートの親友が上院議員から大統領になる過程などは、まるで政治ドラマそのままだし、トゥルース・マシンをめぐる物語よりも、背景となる政治と司法に関する分析の方を、むしろ面白く読むことができた。