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1998年8月号

『タイムクエイク』カート・ヴォネガット

『戦闘機甲兵団レギオン(上・下)』ウィリアム・C・ディーツ

『マウント・ドラゴン(上・下)』ダグラス・プレストン&リンカーン・チャイルド


『タイムクエイク』カート・ヴォネガット

(1998年5月31日発行/浅倉久志訳/早川書房/1900円)

 ヴォネガット久しぶりの新作であり、おそらく最後の作品となるであろう『タイムクエイク』は、正真正銘の傑作である。私は一回読んだ後にすぐさまもう一度読み返し、二回とも感動してしまった。『タイタンの妖女』や『スローターハウス5』を読んだときの感動がまざまざと甦り、それら初期の名作に勝るとも劣らぬみずみずしさと、老成した作家のみが持つことができる奥深さとが見事に調和している本書の魅力に、ただただ酔いしれるばかりである。と、興奮しているだけでは書評にならないので、まずは内容を紹介しましょう。
 語り手である「わたし」はヴォネガット自身。題名となっている「タイムクエイク」とは、二〇〇一年二月十三日から一九九一年二月十七日まで時間が逆戻りし、地球上のすべての人々が十年間同じ体験を繰り返すという架空の事件を指している。何度も人生を繰り返すケン・グリムウッドの『リプレイ』と違って、こちらは一度きりで終わる。しかし、リプレイをしている間は自分の行動を何も変えることはできない。次に起こることを知っていながら、変えられないというもどかしさを人々は経験することになるのだ。ただし、作者の主眼は、タイムクエイクを体験した人々の心理やタイムクエイクの原因など普通の作家が目を向けそうな点にはなく、あくまでもタイムクエイクを含んだヴォネガット自身の半生、及びヴォネガット自身の主義主張を、ときには皮肉まじりのシニカルな視点から、ときには思い切り真剣に、と自由自在な語り口で語る点にある。そう、本書 は、「これまで活字になったわたしの全作品、全仕事」の「最終章」であるという作者の言葉通り、自分の作品の総決算であるだけでなく、七十四歳を過ぎた作者の人生総決算の書ともなっているのである。
 第二次世界大戦のあとシカゴ大学の人類学部に入り、先妻のジェインと結婚。ゼネラル・エレクトリック社の広報部員を勤めた後、短編が《サタデイ・イヴニング・ポスト》を初めとするスリック雑誌に売れるようになる……という既にいくつかの作品でお馴染みの経歴がコマ切れに語られるとともに、本書では、今までになく赤裸々な調子で家族や親族の肖像が描かれていく。ありとあらゆるガンに罹り四十一歳で亡くなった姉のアリス、その夫でひらいた可動橋から転落した列車に乗りあわせて死んだジム、贅沢にとりつかれており作者が二十二歳のときに自殺してしまった母、など、悲劇としか言いようのない事件の数々もヴォネガットの筆にかかると、何となくカラッとした明るい調子になり、ユーモアさえ感じられるような気がするから不思議である。それにしても、この人の周囲には死の匂いが強烈に漂っているね。ヴォネガットのユーモアの原点が、親しい人の死や第二次大戦中の無意味な大量死など死の重苦しさを多数経験してきたが故のシニカルさにあるのだということが本書を読むと良くわかる。重さゆえの軽さ、とでも言おうか。だから、ヴォネガットの作品というのは、小説の何気ない一言一言にものすごく説得力がある。「プーティーウィッ?」や「チリンガ・リーン!」などの擬音にあれだけ深い意味を込められる作家も他にいないだろう。圧巻は兄の死を扱った終局部分。兄への思いが行間からひしひしと伝わってきて、思わず涙、涙であった。こうした家族描写があるから、もっと拡大家族を、もっと慈愛を、という現代文明批判も生きてくるわけである。すらすらと小説を書くスラスラ型に対して、自分の小説作法はゴリゴリ型だと本書の中でヴォネガットは言っているけれど、七年という長い歳月をかけて、しかももともとあった『タイムクエイク』という原型を解体・再構成して書かれた本書は、様々なスパイスをスリコギでゴリゴリと混ぜ合わせて新鮮な材料を加え、よーく煮込んだカレーのルウのようなものだ。心して、じっくりと味わっていただきたい。
 さて、作中では劇に譬えられているけれど、自由意志を否定されたリプレイを強いるタイムクエイクという事件は、悲劇的な運命を人に強いる人生そのものの譬えになっているように感じた。その無意味な人生から人々を解放する役を演じるのが、今回本当に久しぶりに登場し縦横無尽の活躍を見せる老SF作家キルゴア・トラウトであるというのが何ともうれしいではないか。自由意志を取り戻したあとも無気力になったままの人々に向かって、「あなたはひどい病気だったが、もう元気になって、これからやる仕事がある」と説いて回るトラウトの力強さに、人生に疲れたあなたは大いに勇気づけられることだろう。次々と粗筋を紹介されるトラウトの短編も傑作ぞろいだし、これで終わりと言わずに、まだまだ書き続けてほしいと思うのはファンのわがままというものだろうか。

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『戦闘機甲兵団レギオン(上・下)』ウィリアム・C・ディーツ

(1998年4月30日発行/冬川亘訳/ハヤカワ文庫SF/上下各640円)

 見てきましたよ、『スターシップ・トゥルーパーズ』。いやあ、エイリアン・バグズは凄かったねえ。あんなのに突き刺されて死にたくはないよなあ。とても未来とは思えない武器のお粗末さと、軍隊とは思えない戦略のお粗末さとがあいまって、見事な反戦映画となっていたのが印象的でした。
 さて、全く意志の通じないエイリアン・バグズに比べれば、こちらはいくら戦闘好きのエイリアンと言っても言葉が通じるだけましと言うもの。ウィリアム・C・ディーツの『戦闘機甲兵団レギオン(上・下)』は、異星種族フダサ人と人類との戦闘をハードに描いた戦争SFである。
 数千年後の未来、銀河に広がった人類帝国の辺境区域ウォーバーズ・ワールドに突如異星種族フダサ人が侵攻を開始する。わずか五日間で、戦闘ステーション及び惑星の大都市は壊滅させられた。いっかいの大佐に過ぎないナタリーが急遽指揮官となってフダサ人との交渉に臨むが、会談は決裂。一方、人類帝国の辺境では、一九世紀のフランス外人部隊の流れをくむレギオンが任務についていた。レギオンの機甲騎兵連隊は、生体(機甲兵T)と呼ばれる通常の人間と機甲兵Uと呼ばれるサイボーグ兵士、及びこれまた戦車に匹敵する巨大なサイボーグである襲撃四脚兵から成っている。七つの星系で連戦連勝を続けたフダサ軍と接触した惑星アルジェロンのレギオンは、撤退を告げる皇帝の命令に逆らって、徹底抗戦を決意。かくして、レギオン対フダサの死闘の幕が切って落とされた。果たして勝利を収めるのはどちらなのか……。
 と、粗筋だけ見ればテンポの良いアクション小説を期待してしまうのだが、実際には、地球での皇帝に対する反乱、フダサ人同志の内部分裂、惑星アルジェロンにおけるもう一つの異星種族ナー族の生態描写など枝葉のエピソードに枚数をとられ、肝心の戦闘がなかなか始まらない。下巻の最後にようやく始まったかと思うとあっという間に終わってしまい、いささか肩透かしをくった気分である。本書は、アクションSFとしてではなく、政治的な駆け引きや、殺した相手がサイボーグとして甦ってきたり、異星人であるナー族の女性と人類男性とが恋をしたりといった人間ドラマとしての趣向を楽しむべき作品だろう。

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『マウント・ドラゴン(上・下)』ダグラス・プレストン&リンカーン・チャイルド

(1998年5月30日発行/中原尚哉訳/扶桑社ミステリー文庫/上610円・下629円)

 先月に引き続いてダグラス・プレストン&リンカーン・チャイルドのコンビの作品が翻訳された。今回の『マウント・ドラゴン(上・下)』は、《レリック》シリーズに見られたホラー的要素を排除して、ウイルス汚染による災害をどのように防ぐかを描いたパニック小説であり、ダグラス・プレストンの兄リチャード・プレストンの書いた『ホット・ゾーン』を思わせるバイオ・スリラー大作となっている。
 世界最高のバイオ・テクノロジー企業ジーンダイン社で働く研究員ガイ・カーソンは、ニューメキシコの砂漠に建設された遠隔試験施設、通称マウント・ドラゴンでの勤務を命ぜられる。危険なウイルスが流出しないよう厳重なシステムで守られたこの施設の中で、あらゆるインフルエンザ・ウイルスに対して免疫を作る遺伝子(Xフル遺伝子)を研究することがカーソンに課せられた使命なのだ。Xフル遺伝子は既に抽出されているので、後はインフルエンザ・ウイルスをベクターとしてXフル遺伝子を人間のDNAに挿入してやればよい。しかし、Xフル遺伝子をインフルエンザ・ウイルスに挿入した途端、このウイルスは恐怖の致死ウイルスと化してしまう。ウイルスの変化の原因は何か。また、そもそもヒトの遺伝子操作は許されるべきなのか。カーソンは、やがてマウント・ドラゴン全体を敵に回して戦うことになる……。
 マウント・ドラゴンが最初の原爆が生み出されたサイトの近くに設定されていること、ジーンダイン社の社長であるスコープスが非人間的に描かれているのに対し、そのライバル役のレバイン教授や主人公カーソンが実に人間的な魅力に溢れた人物として描かれていることなどからも明らかなように、本書には、遺伝子操作が核爆弾と同様に人類にとって大いなる災厄をもたらすものだという極めてモラリスティックな考えが貫かれている。人間性を脅かす遺伝子操作の恐ろしさを描くことによって、逆に高らかに人間の尊厳を謳いあげているわけだ。まあ、そんな理屈は抜きにしても、厚みのあるキャラクターと丹念な調査に裏打ちされた巧みなストーリー展開に、読み始めたら止まらないほどの面白さである。馬で砂漠を横断する決死行や、クライマックスの警句合戦なども読み応え十分。一気に読める上質のエンターテインメントとして、『レリック2』と合わせて、お勧めしておこう。

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