SF Magazine Book Review



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1997年10月号

『3001年終局への旅』A・C・クラーク

『チャレンジャーの死闘』デイヴィッド・ファインタック

『花粉戦争』ジェフ・ヌーン

『リトル、ビッグ』ジョン・クロウリー



 外国へ行くと、ついついその国の本屋を覗いてどんなSFがあるんだろうかと探してしまうのがSFファンの悲しい性である。今回たまたまトルコへ出かけたのでぶらりとイスタンブールの銀座通りで本屋に入ると、新刊でディックとヴォネガットの翻訳が置いてある。手にとってじっと見ていたら本屋のお兄さんに肩をたたかれ教えてもらったコーナーにSF叢書らしきものが……。そこにあった本は(トルコ語は読めないので以下推測)『ロカノンの世界』『宇宙商人』『宇宙の眼』『プレイヤー・ピアノ』『人間がいっぱい』など五〇年〜六〇年代の名作が多数。欧米の文化を貪欲に取り入れつつあるトルコでは、ちょうど今がSF翻訳勃興期に当たるようだ。自国の作家もいるようだし、トルコ語に堪能なSFファンは是非本誌でトルコSFの現況を報告していただきたいものである。


『3001年終局への旅』A・C・クラーク

(1997年7月31日発行/伊藤典夫訳/早川書房/1800円)

 さて、くだらぬ前置きはそれくらいにして、今月は前作の発表から一〇年、遂に刊行された〈オデッセイ〉シリーズの最終作、A・C・クラークの『3001年終局への旅』からご紹介しよう。
『2001年宇宙の旅』で、宇宙の彼方へと飛び去っていったディスカバリー号の副長フランク・プールが蘇った! 西暦三〇〇一年、海王星の軌道の外にいた宇宙曳船ゴライアス号が偶然にも漂流していた彼の死体を見つけ、千年の時の経過を知らされテクノロジーの進歩に驚くプール。この時までに人類は月や惑星にいくつかのコロニーを作り、土星のリングや彗星から氷を運んでは金星や水星に落としてテラフォーミングを行っていた。また、人々はブレインキャップと呼ばれるヘルメットを使って仮想現実を体験し、人間の一生の経験を一〇ペタ(一〇の十五乗)バイトの容量を持つディスクに保存することができる。そんな驚異に満ちた未来の中でしばらく暮らした後、プールはゴライアス号に乗り込み、今では恒星と化した木星への旅に出発する。目的は、巨大なモノリスがあり生命が急速に進化しつつあるエウロパに降りて、そこに存在すると言われるデビッド・ボーマンとコンタクトを取ること。かくして、彼のファイナル・オデッセイが始まった……。
 映画『2001年』の初公開から三〇年近くが経過し、もはや、実際の二〇〇一年まであと四年と迫った今、その間のテクノロジーの発達を踏まえて、もう一度新たな二〇〇一年像を捉え直したいという気持ちがクラークにはあったのかもしれない。プールを主人公に据え、主にコンピュータ・ネットワークに代表される現在のテクノロジーをプールの回想に取り入れた結果、今となっては一部古びてしまった感のある旧二〇〇一年像が、見事にリフレッシュされている。かつて未来人として存在していたプールは、本書においては、我らの同時代人として三〇〇一年の世界に蘇ったのだ。従って、本書ではリニューアルされた二〇〇一年の世界と三〇〇一年の世界とが同時に楽しめるようになっている。とは言っても、もちろんメインは三〇〇一年の方。軌道エレベーターから見た地球や宇宙の景観の素晴らしさ、最新の知見を取り入れたガニメデやエウロパの情景の見事さ、いやもう、こういう見知らぬはずの光景をあたかも見てきたかのように描き出すときのクラークの筆は、いつもながら冴えに冴え渡っているではないか。そして、クライマックスでは、前作『2061年』の結末でも示唆されていたように、モノリスがついに活発な動きを始めるのだが、人類は決然とこれに立ち向かい、感動的な結末を迎える。
 技術予測の確かさ、それに基づく景観の美しさ、そして、何よりも物語のスケールの壮大さにおいて本書は一級のサイエンス・フィクションとなっている。しかし、筆者が最も心憎く思うのは、それを肩ひじはらずにサラリと流して書くことのできるクラークの余裕綽々たる態度なのである。アシモフへのオマージュなどニヤリとさせられるところも、本書には多い。シリーズのすべての作品を読んでいないと理解できないタイプの続編ではなく、映画『2001年』しか見ていない人でも十分に楽しめる単独作品としてお勧めしたい一冊である。

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『チャレンジャーの死闘』デイヴィッド・ファインタック

(1997年7月31日発行/野田昌宏訳/ハヤカワ文庫SF/上下各700円)

 デイヴィッド・ファインタックの《銀河の荒鷲シーフォート》シリーズは、第二巻『チャレンジャーの死闘』になって、こちらの予想外の展開を示してきたようだ。
 前作で、国連宇宙軍の中で最も若い艦長となった弱冠二十一歳のニコラス・シーフォート。彼の今回の任務は、軍艦〈ポーシャ〉に乗り組み、旗艦〈チャレンジャー〉の前方で索敵しながらホープ・ネーション星系までの航天を行うことである。前回の航天でニコラスが異星生物〈魚〉と遭遇した経験を鑑みての任務なのだが、今回のニコラスは、またもやトラブル続き。そもそも乗り組む艦は〈チャレンジャー〉のはずだったのに上からの命令で止む無く〈ポーシャ〉になるわ、その〈ポーシャ〉にはニューヨーク下町育ちの品性のかけらもないガキ供が試験的に乗り込んでいるわ、やはり前回同様〈魚〉には襲われるわ……といった具合なのである。さて、この〈魚〉の襲撃あたりからユーモアに満ちていた作品のトーンが急に暗くなる。次々とニコラスを襲う悲劇、また悲劇。悲しみに沈む間もなく、これでもかと言わんばかりにむごい仕打ちに襲われるニコラスは、宇宙軍法規を心のより所とし、自分をギリギリまで痛めつけることになる。厳しい規律のもとに、妥協することなくあらゆる人と対応し、逆に人々の信頼を勝ち得ていく様は、ほとんど苦行に耐えながら進む伝道師の布教の様子を見ているかのようなのである。
 そう思って見れば、毎回食事の際に唱えられる主への祈りや、戦闘シーンの背後に流れる聖書の一節など、宇宙軍ものにしては過剰なまでの宗教色の濃さも理解できるというものだ。本書の感動は、神に忠誠を誓った男が、苦難を経ても忠誠を捨てず、その結果報われていくというドラマの感動に近いものがあるのではないだろうか。そうした意味では、決して筆者の好きなタイプの小説ではないのであるが、それでもぐいぐいと惹きつけて最後まで一気に読ませてしまう作者の筆力には素直に感嘆の意を表しておきたい。

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『花粉戦争』ジェフ・ヌーン

(1997年7月31日発行/田中一江訳/ハヤカワ文庫SF/800円)

 ジェフ・ヌーンの『花粉戦争』は、話題を呼んだ前作『ヴァート』の続編である。
 様々な夢がプログラムされた羽根〈ヴァート〉を口に含むことによって仮想現実を体験できるようなった近未来社会では、人間と他種との交配が進み、犬人間、ロボ人間、ゾンビなどが真性人間とともに雑居している。花粉症が蔓延する、ある日のマンチェスターで、コヨーテという犬人間のタクシー・ドライヴァーが謎の少女ペルセポネによって殺された。コヨーテの恋人ボーダと、その母親である警察官シビルは別々の経路で事件の真相を探るが、辿り着いた先は同じ相手、ヴァート世界を支配するシンボリックな存在ジョン・バーレーコーンであった。彼は現実世界を我が物とするため、花粉を使い現実を夢で覆い尽くそうとしているのだ。かくして、バーレーコーンと彼女らの死闘が始まる……。
 前作以上にノリの良い文体でリズミカルに語られる物語に身をまかせ、一気呵成に読むべき小説である。エリノア・リグビーとキリスト、ブラック魔王とホリー・ゴライトリーを全て物語の登場人物という枠でくくってしまう大雑把さや、現実だって一つの物語に過ぎないのではないかという根本的な疑問が気になるようでは、本書を素直に楽しむことはできない。花粉症と六〇年代フラワーパワーを対置してみせた着眼点も面白いし、フラワーパワーの代表者であるDJガンボの選曲やおしゃべりの楽しさも、本書の読み所の一つ。軽いながらも、パワー溢れる作品である。

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『リトル、ビッグ』ジョン・クロウリー

(1997年7月31日発行/鈴木克昌訳/国書刊行会/上下各2600円)

 紙数がないので簡単な紹介のみにとどめておくが、ジョン・クロウリーの『リトル、ビッグ』は、練りに練られた文体と緻密な構成で綴られる、ある一家の五世代に渡る一大クロニクル。非現実の視点から現実を逆照射してみせる優れた幻想文学であり、まがうかたなき傑作である。くれぐれも読み逃しなきように。

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