SF Magazine Book Review

1997年7月号



『ターミナル・エクスペリメント』ロバート・J・ソウヤー

『オールウェイズ・カミングホーム』アーシュラ・K・ル=グィン

『内海の漁師』アーシュラ・K・ル・グィン


『ターミナル・エクスペリメント』ロバート・J・ソウヤー

(1997年5月31日発行/内田昌之訳/ハヤカワ文庫SF/800円)

 読者の皆さんもご存知のとおり、この四月二四日に衆議院で脳死を人の死と認める臓器移植法案が可決された。今後参議院での審議及び投票を待たなければこの法案が成立するかどうかはわからないのだが、日本ではまだ禁じられている臓器移植への道を切り開くきっかけにはなりそうである。法律で死を定義するのが妥当かどうかという議論ももちろん重要だけれど、その前にまずは脳死の基準についての論議がきちんとなされているのかという点が気になってしかたがない。法案の基となっている竹内基準(八五年制定)で脳死判定を行って本当に大丈夫なのだろうか。移植に反対というわけではなくて、人の死を判定する際にはいくら慎重に事を進めても慎重すぎることはないという立花隆氏の立場に筆者は組するものである。
 ただし、ここで、もしも……と考えてしまうのがSFファンの悲しい性。もしもここから先は完全な死であって蘇りはあり得ないという点が簡便な科学的装置によって検出可能であるとすれば、脳死の基準について悩まなくてもすむのではなかろうか。できれば装置の表示方法は視覚に訴えるもので、脳の立体画像を見ながら判断できるものが良い。十億を超えるナノテク・センサーによって脳全体のすべてのニューロンの電気的活動をモニターできるスーパー脳波計があれば、そんな夢も叶うのではないだろうか……。というわけで、今回はそんなスーパー脳波計を発明した男の物語、ロバート・J・ソウヤーの九五年度ネビュラ賞受賞作『ターミナル・エクスペリメント』から紹介していこう。  二〇一一年八月、生物医学方面のモニター機器を開発・販売しているホブスン・モニタリング社の創設者ピーター・ホブスンは、脳のどんな小さな電気的活動でも見逃さないスーパー脳波計の開発に成功した。最初の実験でピーターは死の瞬間、人の身体から電気的パターンが抜け出していくところを記録する。このパターンこそが「魂」ではないのか、と気づいたピーターは何度か死の瞬間をモニターし、その度に現れるこの凝集性の電気フィールドを見て確信する。ついに「魂」の実在が証明されたのだ! それでは、身体を抜け出した魂が体験する死後の世界とは一体どのようなものなのか。これを探るため、ピーターは友人のサカールと協力して、コンピュータ内に人間の精神のシミュレーションを作り出す。肉体と関係のある要素をすべて削除したものが一つ、肉体の衰えに関する要素を削除したものが一つ、そして何も削除しないものが一つの計三体である。しかし、このときピーターは、このシミュレーションが恐るべき罪を犯すことになろうとは知る由もなかった……。
 いつもながらソウヤーは、快調なテンポと強烈なサスペンスでぐいぐい読者を引っ張っていく。既訳の三冊に比べると大部な長編だが、少しの無駄もない描写、類型的ではあるが味のあるキャラクター、綿密な構成などによってダレ場のない一気読みが可能となっている。人工知能による殺人というアイディアは第一長編『ゴールデン・フリース』と共通しているので読み比べてみるのも一興であろう。
 本書には脳死と臓器移植に限らず、人工妊娠中絶、不老不死など生と死を巡る様々なテーマが詰め込まれている。例えば、死の瞬間がわかるのならば、生の始まる瞬間もモニターできるはずであり、結果として妊娠後九〜十週目に魂がどこからかやってくるという事実が本書では設定されている。従って、それ以後の人工妊娠中絶は殺人に当たり、中絶を体験している主人公夫婦は自分達が罪を犯したのではないかという疑惑に苛まれる。また、ナノテクを駆使した不老不死を売り物にする企業も登場するけれど、中絶の問題、不老不死の問題はともにそれほど深められることなく立ち消えになってしまうのが少し残念。
 ネビュラ賞受賞ということで玄人受けの作品と思う方がいるかもしれないが、決してそんなことはない。むしろ、SF初心者やミステリ・ファン(特に新本格ミステリとの関連は深いように思われる)にこそ読んでもらいたいエンターテインメント性の高い一冊である。


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『オールウェイズ・カミングホーム』アーシュラ・K・ル=グィン

(1997年2月15日発行/星川淳訳/平凡社/上下各2884円)

『内海の漁師』アーシュラ・K・ル・グィン

(1997年4月30日発行/小尾芙佐・佐藤高子訳/ハヤカワ文庫SF/640円)

『荘子』を見事に換骨奪胎してみせた『天のろくろ』、真摯な理想主義が読者の胸を打つ『所有せざる人々』、珠玉という言葉がまさにふさわしい短編集『風の十二方位』などなど、ル・グィン(どうしてル=グィンから変わったの?)の物語の中には好きな作品が多数ある。その中でも代表作を一冊挙げよと言われれば、やはり、両性具有のゲセン人と地球人との交流を描いた衝撃の処女長編『闇の左手』ということになるのだろうか。《ゲド戦記》の4巻があったとは言え、久しぶりのSF翻訳となったル・グィン。八〇年代を代表する長編『オールウェイズ・カミングホーム』と主に九〇年代に発表された作品八つを収めた短編集『内海の漁師』が立て続けに刊行されている。特に後者は『闇の左手』と設定を同じくする短編三篇を含む注目の作品集だ。まずは長編の方から紹介しよう。
 二万年後の北カリフォルニア、〈大谷〉という町の〈大地の五つの館〉と呼ばれる共同体の中には自然とともに暮らす人々が住んでいた。彼らの姿をル・グィンは様々な技法で描き出していく。未来の考古学者が編纂した資料という形式のもとに神話、伝承物語、歴史物語、詩、戯曲などが次々と繰り出され、トータルとして見ると一つのリアルな未来社会が浮かび上がるという趣向である。もっとも長い「石が語る」という物語のパートですら全体の四分の一足らずであり、ル・グィンの主眼が、テキストだけでなく動植物の図や大谷の社会構造図を含んだコラージュ・アートによる並列的な複合体を形成することにあったというのが、そのことからもわかると思う。
 とは言っても、〈青粘土の館〉に住む女性〈石が語る〉の成長物語である「石が語る」が本書中で最も魅力的なパートであることはおそらく読んだ方なら誰もが認める事実であろう。聡明で勇敢な少女〈北のフクロウ〉(〈石が語る〉の幼名)が体験する通過儀礼やコンドル軍の戦士である父との再会そして別離などの様々な経験を通じて、我々読者もすんなりと〈大谷〉の世界に溶け込むことができる。何よりもまず人物描写にすぐれた物語作者としてのル・グィンの力量を再確認させられた。〈北のフクロウ〉を橋渡し役として、一種の理想主義的な共同体である〈館〉とコンドル軍の住む男性中心主義的社会とが対比されているところも本書の読み所の一つ。巻末の用語解説も合わせて、よくもまあ架空の世界にここまでリアリティを付加できるものだと感嘆させられること間違いなしの力作である。
 さて、短編集『内海の漁師』の方はどうかと言うと、オーストラリアの内陸で宇宙人に遭遇した中年夫婦の話「ゴルゴン人との第一接近遭遇」や登山の話と思いきや実は……というオチのつく「北壁登攀」などの軽いユーモアものから、孤立したスペース・コロニー内で暮らす人々が集団幻想に悩まされる「ニュートンの眠り」のような意欲作まで、バラエティに富んだ一冊となっている。メインとなるのは、『闇の左手』と同じ《ハイニッシュ・ユニヴァース》ものの三篇。光速を超えた瞬時通信を可能とする装置アンシブルがこのシリーズの基本設定を支えているわけだが、ここからル・グィンは物質の瞬間移動を可能とするチャーテン理論なるアイディアを新たに発展させている。初めてチャーテン理論を実践した宇宙船ショービーと十名のクルーの物語「ショービーズ・ストーリー」と辺境の惑星ガナムへ四名のクルーが降り立つ「踊ってガナムへ」は、どちらも経験の解釈の多様性という同じテーマを扱っている。「もうひとつの物語――もしくは、内海の漁師」は、ウラシマ効果とタイムトラベルを組み合わせた一種のラヴストーリー。決して派手ではないけれど、落ち着いた語り口でしっとりとした雰囲気を漂わせた佳品である。ル・グィンは初めてという方から熱烈なファンまで万人にお勧めできる粒の揃った短編集であることは保証しておこう。


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