SF Magazine Book Review

1997年6月号


『火星転移』グレッグ・ベア

『滅びの都』A&B・ストルガツキイ

『時を飛翔する女』マージ・ピアシー


『火星転移』グレッグ・ベア

(1997年4月30日発行/小野田和子訳/ハヤカワ文庫SF/上下各760円)

 グレッグ・ベアの九四年度ネビュラ賞受賞作『火星転移(上・下)』の待望の翻訳がついに登場する。本書は、一人の女性の回想記の形をとって、火星の太陽系からの「独立」という気宇壮大なストーリーを、抑制の効いた筆致で丹念に描き出した一大長編である。これまでに翻訳されたベアの作品の中では、『ブラッド・ミュージック』に優るとも劣らない傑作と断言してもよいだろう。
 二二世紀後半。地球から火星への移民が始まって百年が経過した。初期に移住した家族たちは結束集団(バインディング・マルティプル/BM)と呼ばれる企業連合を形成し、地区ごとにそれぞれのBMが資源開発を行っている。名門マジュムダーBMの一員であるキャシーアは、火星大学シナイ校の学生であったが、火星統一運動に抵抗する不穏分子として不当な放校処分に遭ってしまう。デモ行進にすら参加したことのないキャシーアであったが、この処分をきっかけに抵抗運動に身を投じることになる。運動の挫折、メンバーの一員チャールズとの恋愛、そして政治の世界への参加……。キャシーアは、火星考古学者イリヤとの結婚を機にエアズルBMへと籍を移す。そして、憲法批准までの間の暫定政府大統領に選ばれたエアズルBM理事ティ・サンドラの指名を受けて、キャシーアは何と副大統領の地位まで上り詰めることになる。一方、チャールズの率いる若手理論物理学者の集団オリンピアンズは、火星のタルシス研究所で革命的な物理理論を発見。この理論によれば、物質を反物質に変換したり、物質を一瞬にして転移したりすることが可能となるのだ。火星を恐れた地球側は、火星システムを統御する思考体に仕掛けられた一種のウィルスを作動させることによって火星への攻撃を開始した。果たして火星の運命は如何に……。
 とにかく読ませる。もともとベアはそれほど人物描写のうまい人ではなく、着想の奇抜さとかイメージの斬新さで読者を引っ張っていくタイプの作家だと思っていたのだが、本書の主人公キャシーアは、強くはないけれども常に冷静に行動する理想主義者で、激動する火星の運命に巻き込まれながらもそれを切り開いていくという極めて人間味溢れる魅力的なキャラクターに仕上がっている。キャシーアの辿る劇的な運命に一喜一憂しながら、その一個人の運命が火星の運命と不可分に絡み合っていくところが、本書の面白さの第一である。
 第二の面白さは、これはいつもと同じく、着想の奇抜さにある。チャールズ達の発見する革命的な物理理論とは、素粒子の持つ質量、電荷、スピンなどの情報が記された記述子を操作して物質の性質を転換させることができるというものだ。それによって少量の物質から莫大なエネルギーを引き出したり、物質の空間的性質を変えて瞬時に転送が可能となるのである。無から有を作り、時空を超えた旅が可能となったりという大法螺を、もっともらしい擬似科学理論で包み込み、読者に強引に納得させてしまうベアの手腕はいつもながら実に鮮やか。この理論に説得力があり、また、いきなり大きなものを移動せずいくつかの小さな転移を経てからクライマックスへと至るというように段階を踏んでいるため、火星転移の迫真性も増すというわけである。これぞSFの醍醐味であろう。
 第三の面白さは、シリーズもの特有の楽しみ、即ち他の作品との関連事項を見つけることにある。本書では、舞台設定としては一三〇年前になる『女王天使』(ハヤカワ文庫SF)に登場した量子理論思考体ジルが再度現れ主要な役割を果たしたり、「凍月」(本誌九五年二月号掲載)で起きた事件がチャールズの物理理論発見に多大な貢献をしていたり、といった具合に他の《ナノテク/量子理論》シリーズを読んでいるとより楽しめる仕掛けになっている(詳しくは今月号のベア特集を参照のこと)。
 最後に、これらの特色にまして筆者が最も興味深く思ったのは、火星転移という物語の裏に、学生運動の闘士として出発したキャシーアが地球の支配から独立し自由な共和国を打ち立てるという一種の六〇年代的革命神話が息づいているという点である。本書を読んでいると、何故これほど火星は地球から逃れるために必死となるのか(逆に何故これほど地球は火星に対して抑圧的に振る舞うのか)不思議になってしまうほどなのだが、それも革命というユートピアを実現するための必然的な設定なのだと思えば納得できるのではないか。五一年生まれのベアがリアルタイムに体験したはずの六〇年代末、その時代に熱く生きたアメリカ人学生達の理想主義が本書には明らかに織り込まれている。そうした意味からも、本書はベアの作品の中でも出色の出来栄えを示した記念碑的な一冊と言えるだろう。

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『滅びの都』A&B・ストルガツキイ

(1997年3月20日発行/佐藤祥子訳/群像社/2000円)

 ストルガツキイ兄弟が七〇年から八七年にかけて断続的に書き続けてきたライフワーク的な作品、そして兄アルカージイの死によっておそらく最後の共作となるであろうと思われる作品が、九一年にモスクワで出版された『滅びの都』である。
 どこともわからぬ場所にあり人工太陽が明滅する〈都市〉では、日本、アメリカ、ソ連、ハイチ、スェーデンなど世界中のあらゆる国から集められた人々が定期的に職業を変えながら暮らしている。目的不明の〈実験〉のため、皆は奉仕的に働いているのだ。元天文学者で理想に燃える共産主義青年同盟員でもあったロシア人の青年アンドレイは、あるときはごみ収集員として日本人ケンシ(元早川書房の社員という設定には笑ってしまった)らとともに、またあるときは捜査官として元ゲシュタポのフリッツとともに働き、ついにはフリッツの起こしたクーデターの際に補佐官として登用されることになる……。
 ヒヒの群れが走り回り、一度入ったら出られない謎の赤い館が出没するこの〈都市〉が旧ソ連の象徴であり、〈実験〉が共産主義の理念をカリカチュアライズしたものであることは明らかなのであるが、実際にソ連邦が解体してしまった後に読んでみると、ここまで曖昧にしなくても良かったのではないかという気がしないでもない。ただ、厳しい言論統制の渦中にあっては、この内容はやはり体制への批判ととられても仕方がなかったのだろう。逆に描く対象をぼかすことによって、本書に特殊から普遍への一般化が行われているのも事実であり、この〈都市〉と〈実験〉は、我々が今体験している現実社会そのものだと捉えることも可能である。作者の分身であるユダヤ人カツマンが作中で言うように、目的がなければ人間はそれを無理矢理考え出す存在である。日々の泡のような生の中で、〈実験〉のために生きるアンドレイも、自ら目的と信ずる何かのためにあくせく働いている我々も実は同じではないのか、そう本書が我々に問い掛けているかのように思われた。

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『時を飛翔する女』マージ・ピアシー

(1997年2月28日発行/近藤和子訳/学芸書林/2718円)

『時を飛翔する女』は、アメリカでアリス・ウォーカー(『カラー・パープル』の作者)と並んで評価されており、九二年度のA・C・クラーク賞も受賞している女流作家マージ・ピアシーの代表作である。
 メキシコ系アメリカ人のコニーは、夫を亡くした後情緒不安定になり娘を虐待したため精神病院に入れられた過去を持ち、社会の最下層で暮らす女性である。姪のヒモとのトラブルの結果、コニーは再び精神病院送りとなってしまうのだが、そんな彼女に二一三七年からのタイム・トラベラーが接触してきた。実は彼女は、受け手(キャッチャー)と呼ばれる未来人との交流が可能な特殊能力を持つ人間だったのだ。かくして未来への旅に出るコニーがそこで見たものは、資源のリサイクルを完成させた一つの理想社会であったが……。
 タイムトラベルものの形は取っているものの、作者の主眼は、あくまでも理想社会と比較して現代アメリカ下層社会に暮らす女性の悲惨さを浮き彫りにすることにある。男性中心の抑圧的な世界に対して戦いを決意するコニーの気持ちが痛々しいほどに伝わってくる、心理描写と風俗描写とに優れた作品である。

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