今月は、まずは期待の新鋭の力作二点から。一人の少女の成長小説であった『軌道生活』とはうってかわって、大災害に遭遇した人類の姿とその行く末を壮大なスケールで描いたジョン・バーンズ『大暴風』(上・下)は、読み応え満点の力作長編である。
二〇二八年三月、シベリア連邦が所有する北極海底の核ミサイルを協定違反だとして国連宇宙局が爆撃して破壊。しかし、その結果、氷に閉じ込められていた膨大なメタンが大気中に放出され、温室効果によって史上最大級を含むハリケーンが七〇個以上発生、死者の数は九月までに二億人を超える大災害になるとの予測が為される。果たして人類はこの災害を防ぐことができるのか……。
壮大なストーリーを軸としながら、本編は決して大局的な視点からではなく、災害に関わる登場人物の立場を絡み合わせた個人的かつ複合的な視点から語られる。XV(個人の体験をそのまま記録できる新テクノロジー)レポーターで災害の発生及び経過をネットワークで伝えるベルリナ、レイプされ殺された娘の復讐に全てを賭けるランディ、危機をいち早く察した宇宙ステーション上の宇宙飛行士ルーイとその先妻で元海洋大気局員のカーラ、アメリカの「おばあちゃん大統領」ハードショーから、人気XV女優(AV女優みたいなもんですな)シンシに至るまで様々な階級の人々を等価に描きながら、災害の発生から終結までを物語るその手腕は、揺るぎのない確かさを窺わせて既にベテラン作家の域に達している。しかも、単なるパニック小説で終わらずに、肉体を失ってコンピュータ上の仮想人格として存在するようになった宇宙飛行士の思考を通じて、太陽系内惑星・衛星のテラフォーミングを千年以内に実現可能と仮定し、人類の運命をも示唆している点に、スケールの雄大さとテーマの広大さが感じられる。災害を乗り越えた後に語られるそのヴィジョンは、人類と科学技術に対する力強い肯定に他ならない。解説でも触れられている通り、これだけのスケールを持ちながらアメリカ中心で話が進んでしまう等の欠点はあるものの、それらを吹き飛ばすだけの勢いのある作品だ。
『ヴァーチャル・ガール』が好評だったエイミー・トムソンの第二作『緑の少女』(上・下)はエイリアンとのファースト・コンタクトを扱った力作長編である。
ある惑星で探査に出かけ、遭難してただ一人生き残った地球人ジュナ。彼女に身体改造を施して命を救ったのは異星種族テンドゥの長老イルトであった。テンドゥは、ネコのような瞳と大きな耳を持った巨大なアマガエルのような風貌で、一切口はきかない。普段のコミュニケーションは皮膚の体色を変化させることで行うが、相手をより深く理解するときには手首のすぐ内側の鮮紅色の針を使って「アリューア」と呼ばれる精神的交流を行うのだ。イルトの弟子にあたるアニに助けられながら、テンドゥの言葉を覚え、生活に馴染んでいくジュナであったが、文化の違いに驚かされることばかりで苦難の日々が続く。数年が経過し、ついに地球からの調査船がやって来る。果たしてジュナは地球に戻れるのか……。
ここで丹念に描かれるエイリアンは、我々にとって衝撃的な習性をいくつか持ってはいるものの、基本的にはコミュニケーション可能な知的種族であり、人類という概念の外延上にある。従って、本書は南海の島に取り残された文明人が原住民と親しくなり、お迎えが来てさようならというドラマのヴァリエーションに見えてしまうかもしれない。だが、「アリューア」という深い精神的交流や「アトゥワ」と呼ばれる「一地域の生態系を管理する同盟組織」という概念などを通じて、作者が提唱しているのは惑星とともに暮らす知的生命体のひとつの理想形なのである。前作同様の心温まる物語を楽しみながら、人類の在り方についても思いを巡らすことのできる優れた文化人類学的サイエンス・フィクションとしてお勧めしておきたい。
本誌今月号はバラード特集である。他の雑誌等ではよく特集が組まれるバラードだが、本誌で特集を組まれるのは初めてではないだろうか。『結晶世界』と『ヴァーミリオン・サンズ』を筆頭としてバラードの諸作をこよなく愛する筆者としては実に嬉しいことである。時にはバラード・ランドと呼ばれることもある頽廃と豪奢に満ちた空間を、憎らしいまでに抑制のきいた筆致で描き出すその手つきがたまらなく好きだ。「時の声」「待ち受ける場所」「コーラルDの雲の彫刻師」……短編の題名を挙げていくだけで初めて読んだときの興奮が甦る。六十年代の初期作品だけでなく、コンデンスト・ノヴェル、テクノロジー三部作、自伝的長編とめまぐるしくスタイルを変えつつ書かれた作品も、すべて客観的な突き放した視点から語るという点では一貫しており、その冷徹な眼差しがバラード作品の魅力の核になっていることは間違いないと言っていいだろう。
さて、『太陽の帝国』から七年後に発表された自伝的長編第二作『女たちのやさしさ』は、そうしたバラード独自の語り口はそのままに、少年時代から青年・壮年時代を経て『太陽の帝国』映画化(八四年)に至るまでの自身の体験をもとにした、一人の男のリアリスティックな架空一代記となっている。
一九三〇年代後半、上海の租界で日中戦争に続く太平洋戦争に巻き込まれ、収容所に入っていたジェイムズ少年は、戦争終結後、収容所から自宅へ帰る途上で日本兵に殺される中国人を目の当たりに見る。イギリスへ戻ってケンブリッジで医学を学んだり、イギリス空軍に入ったりした後作家になったジェイムズは結婚し三人の子供に恵まれるが、妻ミリアムの死という悲劇が彼を襲う。このように反復される死のイメージに対して、「ほとんど希望を失いかけたわたしに救助の手を差し伸べてくれたのは、女たちのやさしさだった」(一八九頁)と語られるとおり、義姉のドロシー、友人のサリー、幼なじみのペギーなど様々な女性が彼に見せる「やさしさ」即ちエロティシズムに裏打ちされた豊かな生のイメージが、本書の主題となっていることは言うまでもない。しかし、その主題のみならず、章の展開に伴う各時代の背景がそのままバラード作品のモチーフと重なっていることも、本書の読み所の一つである。例えば、六七年のLSD体験が『結晶世界』を、六九年の破損した車の展示会及びその後のカー・セックスや自動車事故が『クラッシュ』をそれぞれ連想させる他、飛べない飛行機、精神病院などお馴染みのモチーフも頻出している。まさしくバラード作品の集大成と言える本書は、彼の原点が三〇年代から四〇年代の上海にあることを再確認させてくれた。バラード・ファンはもちろん必読、バラード入門としても最適の作品である。
ダン・シモンズの『うつろな男』は、大長編を得意とする作者が野心的なアイディアをコンパクトにまとめあげた比較的短めの長編だ。
大学の数学教授ジェレミー・ブレーメンは人の心を読むことができるテレパスである。テレパスとは言っても、自分の心を伝えることはできず、もっぱら聞くことしかできない。同様の能力を持つゲイルと偶然出会って結婚したが、九年が過ぎたとき、ゲイルは脳腫瘍で亡くなってしまう。ゲイル亡き後、人の邪悪な思考ばかりが聞こえてくるようになってノイローゼ気味だったジェレミーは二人が暮らした家を焼いて、放浪の旅に出る。その後、ギャングの殺人現場を目撃したため捕らえられて殺されそうになったり、ホームレスとともに生活したり、西部の牧場で殺人鬼と死闘を繰り広げたりしながら、最後に辿り着いた病院で、彼は目と耳と精神に障害を持つ少年ロビーと出会うのだった……。
この後ロビーとジェレミーの間に生じる不思議な交感こそが、本書のメインアイディアとからんでくる面白い所なのだが、ネタ割れになってしまうので詳述できないのが残念である。ただ、精神のホログラム的解釈とカオス理論を基にした平行宇宙概念とを結びつけた極めてユニークなアイディアであるとだけは言っておこう。もちろん科学的には疑わしいところもあるだろうが、大風呂敷きを広げて一気呵成に物語を進めていくのがシモンズの本領である。細かいことは気にせず、二人の男女の愛の物語に素直に身をゆだねるのがよろしい。感動的なラストシーンまではらはらどきどきしながら読むことができるジェットコースター・ノヴェル。シモンズの職人芸を堪能できる一冊である。
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