SF Magazine Book Review

1997年2月号


『ヴォル・ゲーム』ロイス・マクマスター・ビジョルド

『細菌ハックの冒険』マーク・トウェイン

『タナトノート』ベルナール・ヴェルベール


『ヴォル・ゲーム』ロイス・マクマスター・ビジョルド

(1996年10月25日発行/小木曽絢子訳/創元SF文庫/880円)

 本誌先月号のヒューゴー・ネビュラ歴代受賞作リストを興味深く眺めさせていただいた。六〇余りの受賞作(長編部門)のうち、最近の作品を除くと未訳はブラナーとビショップだけになったんだなあとか、シルヴァーバーグって八〇年代に三回もヒューゴー・ネビュラを受賞していたんだねえとか、感想を述べていくときりがないのでやめておくが、驚いたのは近年のビジョルドの人気の高さである。八八年度ネビュラ賞受賞を皮切りに、九一年度・九二年度・九五年度と三度もヒューゴー賞長編部門を受賞しているではないか。長編部門でこんなに受賞しているのはハインライン(四度)ぐらいしかいないわけだから、彼の人気の程が窺えるだろう。そのビジョルドの九一年度ヒューゴー受賞作『ヴォル・ゲーム』は、人類が様々な惑星に進出した宇宙を舞台にした作者独自の未来史を構築する一冊である。
 主人公は『戦士志願』や『親愛なるクローン』などでお馴染み、マイルズ・ヴォルコシガン卿。低い身長に脆い骨格という肉体的ハンデを背負いながらも、父のような優れた艦隊司令官となるべく、苦労を重ねて士官学校を卒業したマイルズ少尉の最初の配属先は、誰も知らないような辺鄙な基地での気象観測士官だった。ここで六ヶ月間無事に勤め上げられたら最新の宇宙艦隊に転属できるのである。張り切るマイルズであったが、上司への反乱の疑いで機密保安庁に逮捕され、移送されてしまう。挙げ句の果てには、勾留されたまま機密保安庁のスパイとして別の宙域に派遣される始末。そこでは四年前にマイルズが非公式に指揮したデンダリィ艦隊が雇われていた。情況を探りながらも、懐かしいデンダリィ艦隊の面々と再会を果たしたマイルズは、期せずして、この宙域で起きつつある陰謀に巻き込まれていく……。
 各宙域の利益をめぐる虚々実々の駆け引きや、めまぐるしく舞台を変えて展開されるストーリーの面白さもさることながら、本書の魅力はやはり、高貴な家柄と優秀な両親のもとに生まれたために自らの肉体的コンプレックスをより強烈に意識せざるを得ないという複雑なマイルズの性格造型にある。彼のコンプレックス克服法は、まず弁舌を巧みに行い時にはあたかも別の人格であるかのように振る舞うことによって、仮想人格を完成させてしまい、本来の自分とは異なる自我を実現してしまうことだ。あるときは、デンダリィ傭兵艦隊を指揮するネイスミス提督、またあるときは銀河宇宙を飛び回る宇宙商人ヴィクター・ローザといった具合に、いくつもの仮面を使い分けるマイルズの活躍ぶりは実に痛快の一言に尽きる。上官に、もう一度ネイスミス提督の役を務められるかと聞かれたマイルズは「あれは単なる役じゃなかったんだよ」と心中思うのであるが、なるほど物語の後半で再び登場するネイスミス提督の勇姿は、まさに艦隊指揮官という彼の理想を体現したものであって、単なる変装ではないのである。
 強力かつ安定した権力の庇護のもとにある人物が、本来の高貴な家柄を隠して庶民になりきる、これは洋の東西を問わず大衆娯楽作品の最も受けるパターンであろう。そう、貴族ゲームとは、即ち時の将軍がお供を連れて各国を行脚し悪を懲らしめる「水戸黄門」に他ならないのである。アメリカでの人気の秘密は本書を読んで良く理解できたし、この楽しさを否定するわけではないのだが、敢えて言わせてもらえば、SFならではの独自性が二つの意味で本書には欠けている。一つは、舞台を宇宙に取る必然性の希薄さ。もう一つは、『自由軌道』を読んだときにも感じたのだけれど、成長物語の形を取っている割には当該人物が既成の権威に頼りすぎではないかという点である。その辺りが近作でどう変わっているのか(または変わっていないのか)、今後の紹介を楽しみに待ちたいと思う。

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『細菌ハックの冒険』マーク・トウェイン

(1996年11月1日発行/有馬容子訳/彩流社/2266円)

 珍しい作品を一つご紹介しよう。マーク・トウェインが一九〇五年にわずか二カ月で書き上げ、死後完全な形で刊行された作品が本邦初訳と相成った。『細菌ハックの冒険』と題された、この長編は、魔術師の実験が失敗した結果コレラ菌にされてしまったハックスレイなるアメリカ人が、ある浮浪者の身体に入り込んでしまうという、(当時としては)奇想天外な冒険物語となっている。
 身体の中に入ったハックにとっては、静脈や動脈は幅十五マイルの川に、いぼより小さなでこぼこは巨大な山に見える。しかも、中に住む細菌はまるで人間のような感情と思考能力を持ち、千以上の共和国と三万ほどの君主国を作り上げているのだ。細菌にとっての時間は人間時間に比べると遥かにゆっくり流れており、人間時間の一秒が細菌には十二時間に、一週間はおよそ千年に当たる。このような設定からも、如何にトウェインが事物に対する優れた相対的視点を持っていたことがわかるだろう。細菌の世界は言ってみれば、人間世界の縮図であり、徹底して戯画化して見せたこの細菌世界を通じて、トウェインは人間世界を痛烈に皮肉っているのである。相対的視点が窺えるのは、何も世界の設定だけではない。来世において救われるのは人間のみならず、犬や馬やハエや蚊、そして細菌に至るまでの生き物すべてであり、「殺菌も殺人も道徳的には違いがないこと」(一三一頁)をいつか人々は知るだろうというハックの考え方は、そのまま作者の思想でもある。また、食物連鎖における分解者として細菌が人間世界に果たす役割を、トウェインは科学的知識をもとに正しく理解していたらしく、細菌世界にも人間世界同様にスウィンクと呼ばれる細菌内細菌を登場させている。実に面白く、かつユニークな発想であり、細菌が顕微鏡を使ってスウィンクの世界を覗き見る場面には「フェッセンデンの宇宙」を思わせるファンタスティックさを感じた。
 冒険ものと言うよりは見聞録に近い小説ではあるけれど、サイエンス・フィクション的な視点を備えた文学者としてのトウェインを知ることができる極めてユニークな作品。一読をお勧めしておきたい。

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『タナトノート』ベルナール・ヴェルベール

(1996年9月25日発行/榊原晃三訳/NHK出版/2600円)

 取り上げるのが遅くなってしまったが、九五年に翻訳されたフランスでのベストセラー『蟻』の作者ベルナール・ヴェルベールによる『タナトノート』は、死後の世界の航行を描いた異色作である。
 二一世紀後半。死に関する論文を執筆した直後に自殺を遂げた父を持ち、少年時より死に取りつかれていた国立学術研究センター教授のラウルは、臨死体験をしたフランス大統領の協力を得て、死後の世界を探索する人体実験を開始する。何度も失敗した後、遂に一人の男が死後の世界への航行から戻ることに成功。航行者はタナトノートと呼ばれ、死の国の地図も徐々に出来上がっていく。七つの区域を通り抜けた後に存在したものとは、果たして……。
 生者には決して到達できない外部としての死を、これほど具体的にあっけらかんと描いて、しかも絵空事に終わらせない作者の腕前は確かに凄いとは思うが、人体実験の是非など本来なら論議を尽くすべきところをさっと流してしまい、いささか問題を単純化し過ぎたきらいはあるだろう。おびただしい死に関する文献の引用と物語とがうまく噛み合っているとも言えないし、哲学的な深みを期待して読むと裏切られる恐れあり。気楽な娯楽作として一気読みするのが本書の正しい読み方であろう。SFファンにとっては、ディックの姿が思わぬところで登場するのも楽しみの一つである。

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 ハヤカワ文庫から、デイッシュのかわいらしい物語『いさましいちびのトースター』、創元からは宮崎駿の表紙が目を引くシュミッツのユーモラスなスペースオペラ『惑星カレスの魔女』がそれぞれ再刊されている。未読の方は是非この機会にご一読を。


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