『ゴールデン・フリース』でコンピュータによる殺人を描き、『占星師アフサンの遠見鏡』で知性を持った恐竜を描いて、アイディアの切れ味の良さとコンパクトにまとめられた構成の巧みさで読者の高い支持を得た期待の新鋭ロバート・J・ソウヤーの第五長編『さよならダイノサウルス』が刊行された。題名を見て、おっ、『アフサン』の続編かと思ってしまった方は早とちりをなさらぬようご注意を。本書は単独の長編であり、同じ恐竜ものとは言っても『アフサン』が旅に出た少年恐竜が世界の秘密を解き明かすという異色の恐竜物語であったのに対して、れっきとした地球の恐竜が登場する物語。しかも、恐竜滅亡の原因を探るため、白亜期末期に二人の科学者がタイムトラベルするという昔懐かしい正統的サイエンス・フィクションなのである。
カナダに住む物理学者チン=メイ・ファンは、二〇〇五年に発見した原理をもとに、わずか八年後には作動するタイムマシンを作り上げてしまった。二〇一三年、過去へと向かうマシンのテストのために送り出されるのは古生物学者のブランディとクリックスの二人組。テストは成功し、無事六千五百万年前に辿り着いた二人であったが、彼らがそこで発見したものは、地球を回る二つ目の月、現在のほぼ半分という軽い重力、極めつけは話す恐竜たち(!)という予想を遥かに超えた出来事ばかりであった。一体この時代の地球に何が起きているのか、そして恐竜絶滅の原因とは何なのか……?
翻訳された三冊を読む限り、ソウヤー作品の特色は、@アイディアを発展させることに主眼を置き、ディテールにこだわらない、A登場人物の性格描写はあくまでも必要最低限に留め、ストーリー展開を重視する、B科学的な知識には正確さを心がける、この三点にあるようだ。その結果、本書のように、重みはないけれども(失礼)ぐいぐいと読者を引きつけるプリミティヴな物語の魅力が作品に生まれ、結末に用意された科学的な認識による世界の謎解きというカタルシスを存分に味わうことができる。久々に、ホーガンの初期作品を読んだときのようなわくわくする壮大な気分を感じることができたが、その反面、ちょっと単純過ぎるかなという気もした。まあ、何にせよ、ストレートなSFを読みたいと言う人にうってつけの一冊である。ブラッドベリの短編を主人公が引用したり、SFTVシリーズ(《プリズナー》《宇宙家族ロビンソン》など)を比喩に使ったりというところも、いかにもファン出身の作家らしくて微笑ましく感じられた。
ストレートの後には変化球、というわけで、お次はラファティの第二短編集『つぎの岩につづく』をご紹介しよう。日本で独自に編まれた『どろぼう熊の惑星』の刊行から三年半。「史上最高のSF作家」(c大森望)によるユニークな作品集がまたもや楽しめることをまずは素直に喜びたい。九四年に本誌に連載された《ラファティ・笑タイム》八篇中の三篇を含めて既にどこかで見たことがある作品が多いとは言うものの、こうしてまとめて読む味はまた格別である。「荒唐無稽なホラ話の語り手としてのラファティ」だけでなく、筆者が偏愛する「残酷でグロテスクなイメージの紡ぎ手としてのラファティ」を十二分に堪能することができ、大満足であった。
あらゆる科学技術を発明し発見した男の歴史改変失敗談「レインバード」、自分の身体から分裂した分身とのドタバタ騒ぎを描く「クロコダイルとアリゲーターよ、クレム」、テキサスの峡谷に住む百万人のこびとの名簿を提出した国勢調査員の話「テキサス州ソドムとゴモラ」などは理屈抜きに読んで楽しめる作品だ。名品「スナッフルズ」「どろぼう熊の惑星」などの系譜に連なる惑星調査隊ものも二篇含まれており、十二脚蜘蛛が人間を変態させてしまう「むかしアラネアで」もいいけれど、住む者全てが欲情を催し極端に速いテンポで子孫繁栄が進んでいく惑星を描いた「豊饒世界」の凄まじいまでの迫力はどうだろう。文句なく本書中のベストに推しておきたい。また、何もない大海原を進む船の乗組員が想像によってアフリカ大陸を出現させてしまう「完全無欠の貴橄欖石」のラストシーンも、空想に侵食された現実を見事に表していて、かなりの衝撃である。緑の雨が降りイボイノシシのような人間が生活する世界に現実が取って替わられる「夢」にも通じる、現実と等価な空想のグロテスクさ、残酷さ。それは、「超絶の虎」で描かれた子供の世界の残酷さにもつながっていくだろう。リビドーが噴出し、理性のコントロールが効かない悪夢の世界、無意識の世界をラファティほどリアルに描ける作家はいないのではないだろうか。海の男と足の悪い女のせつないラヴストーリーである「みにくい海」の主人公がいったんは海を捨てながらも最後には海へ回帰していったように、我々は血まみれの悪夢から逃れようとしながらも、結局はそこへ帰るしかないのかもしれない。などと余計なことは考えるだけ野暮というもの。とにかくまずは、ご一読あれ。
遺作である『ファウンデーションの誕生』に続いて、初期作品集三冊が刊行されたばかりのアシモフであるが、またもや、単行本未収録作品およびエッセイを集めたファイナル・SFコレクション『ゴールド―黄金―』が刊行された。さすがに落ち穂拾い的な印象は免れ得ないものの、本書の中には、作家になりたいロボットの物語を作品の変遷とともに綴った意欲作「キャル」や、コンピュータ制御による映像・音声を駆使した演劇(コンピュ・ドラマ)によって自作を永遠に残そうとした作家の姿を描いて見事ヒューゴー賞受賞の栄誉に輝いた「ゴールド―黄金―」など、読み応えある作品も含まれており、一読の価値はある。ただし、筆者が一番気に入ったのは、本当の息子よりも弟役のロボットを愛してしまった母親の悲劇を描いた「おとうと」。初期作品には見られないなめらかな語り口が印象的な小品である。
エッセイの中にも、ロボットの歴史を辿り自作のロボットものの代表作にコメントをつけた「ロボット年代記」や、アシモフ独自の命名法を明らかにした「名前」、SFの意義を大真面目に説く「SFの影響力」など、興味深いものが満載である。ただし、その多くは、雑誌の巻頭言であったり、アンソロジーの序文であったりするため、単独で読むと甚だ収まりが悪い。せめて初出を示しておいてもらえると、理解しやすかったのではないかと残念に思われた。
ムアコックと言えば、ヒロイック・ファンタジイかホークムーン(ロックバンド)か、はたまた「ニュー・ワールズ」編集長かといった具合に連想が働き、なかなかスマートな冒険SFの書き手というイメージはわかない方が多いかもしれない。初期作品である本書『白銀の聖域』は、そうした既成の印象を払拭するに足る出来の華麗な冒険SFとなっている。
遥かな未来、地球は一面を氷に覆われた白銀の世界と化していた。人々は氷上船を走らせ、陸鯨を狩る狩猟生活を送り、交易によって暮らしている。船長職を失い、南の氷原目指して旅をしていたコンラッドは、ある日一人の貴族を助けたことから、再び氷上船を指揮して旅に出ることになった。行く先はその男が見つけたという伝説の都ニューヨーク。果たしてコンラッドたちは無事ニューヨークへ辿り着けるのか……。
氷の世界の成り立ちとその行方が明らかにされる謎解きの面白さもさることながら、本書の魅力は、まず第一に、大航海時代に海の男たちが活躍した物語を白銀の氷に置き換えて語り直した、その設定の妙にあると言えるだろう。人間嫌いで、禁断の恋に苦しむコンラッドのキャラクターもなかなか味がある。是非ともこれを機に、未訳のムアコック作品が続々と紹介されんことを望む。
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