SF Magazine Book Review

1996年10月号


『ブレードランナー2』K・W・ジーター

『ライアン家の誇り』アン・マキャフリイ

『海魔の深淵』デイヴィッド・メイス

『恐竜レッドの生き方』ロバート・T・バッカー


『ブレードランナー2』K・W・ジーター

(1996年7月31日発行/浅倉久志訳/早川書房/1800円)

 数あるディックの著作の中でも何が好きかと聞かれたら、さんざん迷った挙げ句に『ゴールデン・マン』のまえがきと答えるかもしれない。ディックが若い頃どれほど苦労して生活していたか、そして、どのような姿勢で作品を書いてきたのかについて、自己の心情を飾らず書き綴った、涙なしには読むことができない実に感動的な一文なのである。筆者がもっともディックらしさを感じるのは、その中で、彼が自分の貧しい生活を引き合いに出して、不安と絶望に満たされかけている人々を励ますところだ。彼は言う。どんな逆境にあっても、とにかく「生きぬけ」と。きみの「勇気と分別と生きる意欲」によってそれを乗りきることができるはずだ、と。いやあ、ただの人が言ったらくさくてたまらないセリフなんだけど、結婚と離婚を繰り返し麻薬に溺れ立ち直ったかと思うと天啓を受けて独自の神学を作り上げるという強烈な人生を送った人が言う言葉だけに、実に説得力に溢れているよね。ディックっていうのはこうした弱者に対する共感、励ましがつくづく上手な人だったんだなあと、このまえがきを読み返して再認識した次第。
 さて、そのまえがきの中にも「若いSF作家」として登場し生前のディックと親交があったことでも知られるK・W・ジーターが、映画『ブレードランナー』を元にした続編を書いた。『ブレードランナー2――レプリカントの墓標』は、あくまでも映画のキャラクターやストーリーを基本にしながらも、原作であるディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の登場人物を取り入れて映画と小説の魅力をブレンドさせた、ジーター独自の作品に仕上がっている。
 話は映画版の結末の九カ月後からスタートする。二〇二〇年八月、デッカードはオレゴン州山中の小屋で、二ヶ月に一度目覚める他は生命停止状態のレイチェルと暮らしていた。それがレプリカントの限られた寿命をできるだけ引き伸ばすために二人が考え出した方法だったのだ。そんなある日、彼のもとに、レプリカントの製造元タイレル社の跡取りであるサラ・タイレルという女性が訪れる。前回の任務で火星から逃亡してきたレプリカントを五体処分したデッカードたちであったが、実は六人めのレプリカントがいたのだと彼に告げるサラ。そのレプリカントをつかまえてほしいという彼女の依頼を引き受けたデッカードは早速捜索を開始する。果たして、第六のレプリカントは発見できるのか……。
 テーマとしては原作同様「人間とレプリカントの違いは何か」「人間らしさとは何なのか」という点を追求してはいるのだが、ディックほどのオブセッションがないため、どうしても迫力不足の感は否めない。むしろ、本書は、ストレートに映画『ブレードランナー』の続編として楽しんだ方がよさそうだ。映画のクライマックスでデッカードと死闘を演じたロイ・バティのオリジナル(即ち人間)が登場し、再度繰り広げられるデッカード対バティとの死闘や、タイレル社の爆破・炎上という更なる見せ場も用意されており、六番目のレプリカントの正体に関する意外な真相と合わせて、続編映画のシナリオとしては(製作されるかどうかは別として)十分な出来栄えである。

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『ライアン家の誇り』アン・マキャフリイ

(1996年6月15日発行/公手成幸訳/ハヤカワ文庫SF/820円)

 アン・マキャフリイの『ライアン家の誇り』は、九星系連盟シリーズ最終巻である。ローワン、ダミア、その子供たちと三代に渡ってタラントと呼ばれる超能力者の活躍を描いてきたこのシリーズは、巻が進むにつれ、家族の心の結びつきを描くとともに、異星種族とのコンタクト及びコミュニケーションという大きな問題を重点的に扱うようになってきていた。本書においても、非友好的異星種族である〈ハイヴ〉の生態が徐々に明らかになる過程は読み所の一つだろう。
 友好的な異星種族〈ムルディニ〉の子供とともに育てられたダミアの八人の子供たち。まだ年若いライアン家の次男ロジャーは〈ハイヴ〉世界への攻撃を命じたムルディニの艦長の命令に逆らい、怒りを買ってムルディニのペアを殺されたばかりか、自分もまた殺されそうになる。辛うじて難を逃れたロジャーだが、心に痛手を負い、しばらくは任務から離れることとなった。ロジャーを気遣うローワンやダミアたち。また、〈ハイヴ〉との戦いはどのような結末を迎えるのか……。
 後半は〈ハイヴ〉との戦いが主となり、人間ドラマは影をひそめることになるが、それでも長男ティアンとアリソン−アンとのロマンスなどはきっちりと押さえて描くのがマキャフリイらしいところ。結局〈ハイヴ〉との戦いは小競り合いに終わり、全面戦争には至らない。これもまたマキャフリイなりの優しさの表れなのかもしれないが、それにしても中途半端な結末ではないかと思ってしまったのは筆者だけだろうか。

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『海魔の深淵』デイヴィッド・メイス

(1996年6月28日発行/伊達奎訳/創元SF文庫/580円)

 デイヴィッド・メイス『海魔の深淵』は、懐かしや、冷戦終結前(一九八四年)に書かれたホロコーストものである。
 六五日間続いた核戦争で世界は壊滅状態に陥ったが、どうにか各大国の政府の機能は維持された。ところが、停戦後ほぼ二年を経て、一大事件が発生する。南極大陸周辺の海底に設置された無人要塞が機能解除の失敗により、起動してしまったのだ。各国の軍人が集められ、早速要塞の機能解除に挑むが、最新式の自動戦闘要塞であるから近づくことさえままならない。〈デーモン−4〉と呼ばれる潜水艇が導入され、何とか要塞攻略のめどはたったのだが……。
 この〈デーモン−4〉と自動戦闘要塞とのサスペンスフルな駆け引きが本書の白眉であることは間違いない。ただし、この〈デーモン−4〉はただの兵器ではなく、実は戦争の最中に亡くなった兵士の脳を使用したサイボーグ潜水艇であるところがミソ。だから、乗り込んだ人間の命令に従わないばかりか、「わたしに余計なことは話しかけないでください」なんて逆に命令したりするのだ。こんな艇に何十時間も乗り込んでいるのは任務とは言え嫌だよねえ。結局〈デーモン−4〉の活躍もあって、要塞は破壊されることになるのだが、乗り込んだ人間は悲劇的な運命を辿る。犠牲となった兵士への悲しみとともに、兵器にされてしまった兵士の悲しみもよく伝わってくる、一風変わった戦争SFである。

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『恐竜レッドの生き方』ロバート・T・バッカー

(1996年7月1日発行/鴻巣友季子訳/新潮文庫/560円)

 恐竜温血動物説を唱えたことで知られる恐竜学者ロバート・T・バッカーが、その豊富な知識と溢れんばかりの想像力を駆使して小説を書いた。『恐竜レッドの生き方』は、ユタラプトルの雌を主人公にして、正確な生態描写および風景描写によって、生き生きと恐竜の日常生活を描き出した恐竜小説の決定版と言える。
 全長六メートル、大きな脳と後ろ足のカギツメを備えたユタラプトルのメスが、夫を亡くし、姉とその子供たちとともに暮らし始めるところから物語は始まる。その後、新しい夫を見つけたり、洪水に襲われたり、姉と死別したり……と様々な事件に遭遇するラプトル・レッドがたくましく事件を切り抜けていく姿をバッカーは、まるで見てきたかのようにリアルに、そして感情豊かに描く。恐ろしい肉食恐竜に、ここまで感情移入させてしまう筆力は本当にたいしたもの。とても学者が余技に書いた小説とは思えない(失礼)ほどの巧みさである。ユタラプトルだけでなく、アストロドン、プテロダクティルス、アクロカントサウルスなどたくさんの恐竜の生態並びに白亜紀の植物などを楽しみながら知ることのできるお得な一冊。お勧めである。

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 先月号でヴェルヌの短編を本邦初訳としたのは誤りで既に邦訳があります。「地軸変更計画」は『地球の危機』というタイトルで一九六八年に偕成社からジュヴィナイルで出ており、「2889年」は〈SFマガジン〉六一年四月号に邦訳掲載されたあと、ハヤカワSFシリーズの一冊として刊行されていました。ウェルズの短編も同様に邦訳が存在するものがあるのですが、こちらは次号でウェルズの作品リストが掲載されるとのことなので、そちらを参照して下さい。ご指摘いただいた石原藤夫先生、ありがとうございました。

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