あれはもう一七、八年も前のことだったか、講談社文庫から『世界SF大賞傑作選』(ヒューゴー賞受賞作アンソロジーのこと)が月に一冊のペースで刊行されていたことがあった。いたいけな中学生であった私は毎月その刊行を楽しみにしていたのだが、それはエリスンやティプトリーやル=グィンの傑作中短編を読むことができるという嬉しさに加えて、編者であるアシモフのユーモア溢れる序文と作者紹介が実に楽しくてたまらなかったためではないだろうかと、今懐かしく思い起こすのである。
アシモフ初期作品集@と銘うたれた『カリストの脅威』は、単行本未収録の作品を集めて作者自ら詳細な解説を付したレア・アイテム的な短編集。前三巻を予定している由である。内容はというと、さすがに初期の習作といった感は免れ得ない。密航者を乗せた宇宙船がカリストに辿り着き恐ろしい生き物に襲われる表題作や、金星人が地球の支配に対して反乱を起こす「恐ろしすぎて使えない武器」などは、読んでいるうちに全身の力がふにゃらふにゃらと抜けていくようなくだらなさ。アシモフの名がなければとても読めたものではない。しかし、中には後の才能の片鱗をうかがわせてキラリと光る作品もある。大衆が反対し政府が禁じる中で宇宙開発を続ける人々を重厚な筆致で描いた「時の流れ」(キャンベルが認めた最初の作品でもある)、惑星トランターの名も登場し、ファウンデーションものの先駆と言われる「焔の修道士」などは今読んでも十分興味深い作品だ。また、地球人と火星人の混血である天才少年が迫害を受けつつ、発明家の庇護のもとで原子力を解明する「混血児」は、単純なシンデレラストーリーでありながら、自身の解説にもあるように第二次大戦前夜に一人のユダヤ人として暮らしたアシモフ自身の姿をそこに重ね合わせると、より一層感慨深く読むことができるだろう。
ユーモアとウィットに富んだ解説が相変わらず楽しい。解説と作品が協調して、一種の自伝ともなっている希有な短編集である。次巻以降も楽しみに刊行を待ちたい。
アン・マキャフリイの《九星系連盟》シリーズ第三作『ダミアの子供たち』は、前作『青い瞳のダミア』の主人公ダミアの子供たち(八人もいる!)のうち、最初の四人の活躍を描いた作品である。
人類と友好的な異星種族ムルディニ人とともに育てられたダミアの子供たちは、母親同様すぐれた超能力の持ち主であり、その能力を人類及びムルディニ人のために存分に発揮する。ムルディニの母星へ派遣される長女ラリア、宇宙艦隊に乗り組み人類とムルディニに共通の敵〈ハイヴ〉種族の船を発見する長男ティアン、一五歳そこそこで見事に初任務をこなした次男ロジャー、捕獲された〈ハイヴ〉の女王に異常なまでの共感を示す次女のザラ、四者四様の冒険を視点を変えながら描いているという点で、主人公が一人であった前二作と比べると物語はバラエティに富み、読みごたえが増している。ただし、主眼にあるのは、その子供たちを暖かく見守る両親と期待に応える子供たちとの心の結びつき、家族の絆であるのは、いつもの通り。今回は異星種族ムルディニとの友情やハイヴへの共感もからんで、ますます絆は拡大していく一方である。
異質なものや敵対種族までをも取り込み、共感の名のもとに許していく過程は、ごりっぱとしか言いようがないのだが、その展開がすんなり進み過ぎで、もう少し葛藤があってもいいんではなかろうかと思ってしまう。カードのように徹底せよとは言わないが、余りに登場人物が皆いい子ばかりで心に一つの傷さえないのを見ていると、かえって嘘っぽく感じてしまうのは私の妬みに過ぎないのであろうか。〈ハイヴ〉との最終戦が描かれるであろう次作(完結編)で、マキャフリイが異星種族との対立をどのように処理してみせるのか、お手並み拝見といったところである。
誰にでも、もし可能であれば、時を遡って訪れてみたいという場所が一つならずあると思う。一九世紀末のロンドン、ルネッサンス真っ盛りのフィレンツェ、元禄年間の江戸深川あたり、とこれは私の行きたい所を思いつくまま挙げてみただけだが(余りに俗っぽくてお恥ずかしい)、ジャック・フィニイという人は、よくよく第一次世界大戦前のニューヨークにこだわりがあったんだねえ。大傑作『ふりだしに戻る』二五年振りの続編であり、遺作ともなってしまった『時の旅人』で、主人公サイモンが出かける先はまたもやニューヨーク、なのである。前作では一八八二年、今回は一九一二年だから三〇年ほどの違いはあるが、馬車が街中を駆けめぐり、まだ摩天楼が全容を現す前の古き良きニューヨーク。この二部作を読めば、あなたはたちまちその街の魅力の虜となることだろう。
自分は過去のある場所にいるんだと思い込むことによって時間旅行を行う能力を持つサイモン・モーリー。彼は久しぶりに戻ってきた現代で、再びあるプロジェクトに参加することになる。今度の彼の使命は、アメリカ大統領の命を受けてヨーロッパへと向かった後忽然と消えてしまった「Z」という男の正体を探り出すことだった。Zが任務を果たしていれば、第一次大戦は起こらなかったかもしれないのだ。かくして、サイモンは一九一二年のニューヨークへと旅立つ。果たしてZの正体は無事判明するのだろうか……。
ごく個人的な謎を解くために過去への旅を行った前作とは異なり、今回の旅は随分と目的が大仰である。まあ、どちらにせよ、フィニイの主眼は旅の目的や謎解きにあるのではなく、当時のニューヨークの風俗・生活・建物を浮かび上がらせることにあるのだから、実は目的の達成などは二の次なのである。執拗なまでの風景描写、多用されるスケッチや写真、当時の新聞記事の引用などを通して過去を再現していく手法は相変わらず冴え渡っている。決して多作とは言えなかったフィニイの作家歴を締めくくるにふさわしい見事な作品だ。
六四年生まれの新人ジョナサン・レセムの『銃、ときどき音楽』は、ディックの影響と言うよりは映画「ブレードランナー」の影響を漂わせながらも、オリジナルな作品に仕立てあげてみせた近未来ハードボイルドである。
ドラッグが蔓延し、人々がカルマ・ポイントと呼ばれる点数を登録したカードで管理される未来社会。検問局をやめて民間検問士(いわゆる私立探偵)を営む主人公メトカーフは、つい二週間前まで仕事を引き受けていた依頼主が殺されたことを知る。続けて、その殺人事件の容疑者になったアングウィンという男がメトカーフを訪れ、容疑を晴らしてほしいと依頼する。捜査を始めたメトカーフの前に横たわる様々な妨害工作。真犯人は一体誰なのか……?
これだけ救いのない管理社会を舞台にしながら、物語は社会批判に流れることなく軽快なテンポでぐいぐい進んでいく。冴えない探偵がゴミ溜のようなどうしようもない場所をうろつき、たたきのめされつつ事件の核心に近づいていくというハードボイルドの醍醐味(?)をきちんと踏まえて、しかも、ラストには鮮やかな謎解きも控えているため本格ミステリとしても楽しめる一粒で二度おいしい一冊だ。ただし、解決にはSF的なシチュエーションが深く関わっているので、ミステリファンが読んだら怒り出すかも。古いSFファンにはワイマン・グィンの「危険な関係」と言っておけば、ヒントにはなるだろう。シニカルで突き放したところのある独特の語り口も含めて、新人のデビュー作にしては、既に完成されたスタイルがある。決してA級とは言えないが、良い意味でのB級作品としてお勧めしておきたい。
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