SF Magazine Book Review

1996年5月号


『地球の呼び声』オースン・スコット・カード

『この不思議な地球で』巽孝之編

『時のかなたの恋人』ジュード・デヴロー


『地球の呼び声』オースン・スコット・カード

(1996年1月31日発行/友枝康子訳/ハヤカワ文庫SF/700円)

 先日、友人の結婚披露宴に出席するため徳島のクレメントホテルに宿泊したときのこと。部屋にある机の引き出しを覗くと、中には聖書と仏典の他に一冊の『モルモン経』が……。ここまで布教が進んでいるとは、と驚きながら恐る恐る中を開くと、そこにはカード入魂のシリーズ《帰郷を待つ星》の主人公ニャーファイ(『モルモン経』ではニーファイ)の名があった。
 というわけで、今月は一年半ぶりに刊行されたシリーズ第二作『地球の呼び声』から取り上げてみたい。
 紀元前六百年前のエルサレム。ニーファイの父リーハイがエルサレムの民の罪悪について予言をしたため、命をねらわれる。エルサレムを立ち去れとの主の警告に従って、荒野を旅するリーハイ達だが、ユダヤ人の歴史を手に入れるため一旦エルサレムに戻るのだった……。
 と、これが『モルモン経』ニーファイ第一書の出だしである。シリーズ第一作『地球の記憶』を読んだ方ならもうおわかりの通り、エルサレムを惑星ハーモニーの都市バシリカに、父の名をリーハイではなくヴォーリャマークに置き換えれば、ほぼストーリーの骨子は同じ。解説などで『モルモン経』を下敷きにしているとは知っていたものの、実際に比べてみて、その類似に驚かされた次第。ただし、骨子が似ているというだけで、細部にはかなりの異同があるようだ。〈帰郷を待つ星〉シリーズでは、ニャーファイ以外のほとんどの主要人物の名は変えてあるし、若きニャーファイの成長物語という側面がかなり強調されている。『地球の記憶』では、カードは、十四歳の少年ニャーファイの性への目覚め、兄との確執、初めての殺人による罪の意識といった葛藤を心憎いまでの緻密な筆致で巧みに描き出している。ざっと原典の拾い読みをした程度なので断言はできないけれど、原テクストとの比較を行えば行うほど、本シリーズにおけるニャーファイという人物の人間性が深められていくように思われた。
 さて、本書『地球の呼び声』では、統治者を失ったバシリカの動乱に乗じて新たな支配者になろうと目論むゴライーニ族の将軍ムウズーが登場する。彼が策略を用いてバシリカに入り込み、見事に目的を達成するまでの物語を縦糸とすると、そこにニャーファイ達兄弟の妻探しの物語が横糸として絡み合う構成だ。しっかり者で男らしい長男、女好きで皮肉屋の次男、障害者であり常に冷静な判断を下す三男、とニャーファイの兄達の性格がはっきり描き分けられているので、妻選びの過程もお見合いのテストケースを見ているようで面白く読むことができた。娘を嫁にやる母親の気持ちや妹を送り出す姉の寂しさなどもしっとりと描かれ、結構泣かせる。気分はもう結婚披露宴である。ムウズーに嫁の一人を横取りされかけてハラハラする場面もあるが、最後は納まるべきところに納まって一件落着。さあ、いよいよ砂漠への旅に出発だ、というところで本書の幕は下りる。
 完全につなぎの一冊と言うべき内容ではあるが、ゆったりとしたペースで、ストーリー展開よりもキャラクターの掘り下げに力を入れた、読みごたえのある作品となっている。宇宙船の登場と地球への帰還への期待も込めて、一刻も早い次巻の刊行を待ちたい。

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『この不思議な地球で』巽孝之編

(1996年2月22日発行/紀伊国屋書店/2500円)

 紀伊国屋書店から出ている『この不思議な地球で』は、世紀末SF傑作選と題されたアンソロジー。古くは七三年発表のF・M・バズビー「きみの話をしてくれないか」から九二年発表のバラード「火星からのメッセージ」まで、全十篇。主に八十年代末から九十年代始めの作品を収める。新訳は四篇と半数を割るが、再録作品も「ユリイカ」「現代思想」「へるめす」などに掲載されたきり他では読めなかった幻の作品が多く、まずは埋もれた傑作を発掘して日の当たる場所に置いたという点に本書の第一の特色が挙げられる。
 もちろん肝心の作品の内容の方も、震災後のベイブリッジに発生した橋上空間を後の長編『ヴァーチャル・ライト』に先行して鮮やかに描き出したギブスン「スキナーの部屋」を初めとして、傑作・佳作揃い。個々の作品を単独に眺めても高い評価が与えられるわけだが、読み進むにつれて、いくつかの作品の主題が共鳴し、豊かな旋律を奏で始めるところが本書の第二の特色であろう。これぞアンソロジーの醍醐味、である。
 たとえば、スターリングが遺伝子ハッカーの暴走によって生じたウィルスによる神経汚染を描いた「われらが神経チェルノブイリ」、古来より人々を悩ませ続けた恋愛感情が実はウィルスによるものだったと判明するマーフィー「ロマンティック・ラヴ撲滅記」、コンピュータ・ウィルスが遂に人間の内部に入り込む恐怖を捉えたディケンズ「存在の大いなる連鎖」の三篇を読み進めていけば、ウィルスこそが人間の制御をときに越える科学技術の優れて現代的な隠喩であることが明らかにされるだろうし、また、死体を集めた売春宿へと少年が向かうバズビー「きみの話をしてくれないか」、人工授精で生まれた美少女との仮想空間での恋を描くコンスタンティン「無原罪」、遺伝子工学によって鳥と人間から産み出された生殖奴隷と少年とが甘美な出会いを果たすハンド「アチュルの月に」と読み進めると、男性的な欲望がはぐらかされズラされた無益な愛の地平が見えてくる。かと思うと、対照的に、カードの「消えた少年たち」は、幼児虐待テーマにホラーの仮面をかぶせて息子への思いを切々と訴える、という具合に主題と主題が共鳴し、時にはぶつかり合って不協和音を響かせる。クリアーノ&ウィースナー「秘儀」もトンでもない作品だ。
 冒頭のギブスン作品と最後のバラード作品が、本来の機能を喪失した橋と宇宙船をそれぞれ描いて通底していることからもわかるように、ニューウェーヴとサイバーパンクは本来それほど遠い存在ではなく、SF百年の歴史から見れば、むしろ近いものだったのだという認識を「世紀末SF」というパースペクティヴは与えてくれる。また、サイバーパンクが終焉した後においてもなお刺激的なSFは書かれ続けているのだという事実をも本書は教えてくれた。編者の手腕が冴え渡る好アンソロジー。是非とも手元に置いておきたい一冊である。

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『時のかなたの恋人』ジュード・デヴロー

(1996年1月1日発行/幾野宏訳/新潮文庫/800円)

 ロバート・F・ヤング「たんぽぽ娘」、ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』を初めとして、タイムトラベル・ラヴロマンスとも言うべきジャンルには傑作が多い。時を超えた愛というのはよほど人の心を引きつける魅力があるのだろう。このジャンルにまた一つ佳作が加えられることとなった。アメリカの人気作家ジュード・デヴローの『時のかなたの恋人』である。
 素敵な結婚を夢見るアメリカ娘ダグレスは何故か男運が悪く、いつも恋人に逃げられてばかり。今回も、娘持ちのハンサムな外科医とイギリスを旅行中に喧嘩別れしてしまう。突然、悲嘆にくれるダグレスの前に突然金属の鎧をつけた男が現れて、自分をイギリス貴族ニコラス・スタフォードと名乗り、一五六四年からやって来たのだと告げたものだから、さあ大変。かくしてダグレスとニコラスの奇妙な珍道中が始まる……。
 ハーレクィン・ロマンスにタイムトラベルをからませたような作品で、SF味は薄いが、とにかく読ませる。文化のギャップから生じるユーモラスな展開に思わず引き込まれること必至の面白さ。謎解きの要素もふんだんに含まれ、上質のエンタテインメントとして十分お勧めできる出来映えである。

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 九一年に翻訳の刊行開始。全十六巻から成るデイヴィッド・ウィングローヴの大河SF《チョンクオ風雲録》が、足かけ六年、この『神樹の下で』でようやく十巻を迎えた。いずれきちんと取り上げる予定であるが、二二世紀の未来、漢民族が支配する地球の運命を壮大なスケールで描く本シリーズは、骨太の本格SFとして、もっと注目されて良い作品だ。とりあえず、十巻達成を機に通読してみてはいかがだろうか。

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