ビッスンと言えば、『世界の果てから何マイル』や翻訳された諸短編を読んで、アメリカ南部の風土に密着して奇妙な味を漂わせた作風の持ち主と勝手に思い込んでいたのだけれど、彼のオリジナル最新長編(と言っても五年前の作品だ)『赤い惑星への航海』は、そんな既成のイメージを覆すに足る、ハードな知識に裏打ちされた堂々たるサイエンス・フィクションとなっている。
二一世紀初め、アメリカ政府は民間企業に身売りし、国家レベルの宇宙開発はとっくに中止されている。そんな中で、売れないハリウッドのB級映画会社が起死回生の策を思いつく。ハリウッドの映画スターを火星まで連れていき、そこでロケをした映画を作ろうというのだ。集められたメンバーは、元宇宙飛行士の男女、医者、こびとのカメラマン、映画スターが二人、などなど。かくして史上初の火星への有人飛行が始まった……。
まあ、この設定からして破天荒、メンバーも一癖も二癖もある連中ばかり、珍道中とまでは行かないにしろ、トラブル続きの道中が繰り広げられる。ユーモラスに描かれた旅行記としても十分楽しめるわけだが、これに加えて、(推進機関などに見られる大胆なアイディアは別として)ほぼ科学的に正確なデータに基づいた宇宙飛行シーンや火星着陸シーンのリアリスティックな描写に本書の白眉があることは間違いないだろう。まさに「科学小説」の神髄ここに極まれり! である。簡潔な描写で最大限の効果をあげ、詩情を漂わせるというクラークの技を、まさかビッスンがここまで自分のものにしているとは思わなかった。俳優のイメージを膨大なメモリに蓄えておき、そこから映像を自在に加工し思いのままのショットを作り上げる〈デモゴーゴン〉なる小道具も秀逸。クラークやバローズへのオマージュも含めて、ビッスンのSFセンスの確かさが窺われる一冊である。
ここ数年アメリカに吹き荒れている火星SFブームに先駆けて発表された本書だが、これを機に、ロビンスンのRed Mars('92)やベアのMoving Mars('93)などの話題作が日本でも早く刊行されることを望む。もちろん、ビッスンの他の作品も、であることは言うまでもない。
デビューして十二年、アメリカでは既に多数の作品を発表している人気作家シェリ・S・テッパーのSF初紹介作(ミステリは別名義で翻訳あり)『女の国の門』は、一見すると、淡々とした描写を積み重ねて織りなされる悲劇が静かに読者の胸を打つ情緒豊かな物語に見えるのだが、実はこれがとんでもない問題作なのである。
〈大変動〉と呼ばれる核戦争が起きてから三百年後、世界には中世的な文明レベルに退行した町が点在するに止まっていた。これらの町は〈女の国〉と〈戦士の国〉とに分かれており、男の子は五歳になると〈女の国〉を出て〈戦士の国〉へと向かう。十五歳になったとき、少年はそのまま戦士となるか、従僕となって女の国へ戻るかを決めるのだ。町の一つであるマーサタウンで育った少女スタヴィアは、弟との別れ、戦士との恋、南の国への冒険などを通じて、一人の自立した女性として成長していく。そして、遂に、町を統治する評議員のメンバーである母親から知らされた〈女の国〉の秘密とは……。
アメリカでは賛否両論が沸き起こったと言われる本書には、確かに主題的に見るとかなり過激な所がある。何と言っても、基底にあるのは「男性的なもの」全否定論。しかも、一方で男性性撲滅のため策略をめぐらして戦士を殺しておきながら、他方で失われた戦士たちを嘆くという女性側の臆面の無さも凄いと思う。大人しく聡明な少女スタヴィアの成長記の形をとって語られるため、オブラートに包まれたように穏やかな物語になってはいるが、その中身はタバスコの塊であることをお忘れなきように。
本誌十月号で個人特集も組まれたマキャフリイは順調に二作を刊行。《歌う船》シリーズ第五巻『魔法の船』はジョディ・リン・ナイとの合作。もう一冊は久方ぶりの翻訳となる〈パーンの竜騎士〉正編の第七巻『竜の反逆者』である。前者では、未踏の惑星にやって来た頭脳船キャリエルと筋肉ケフのコンビが魔法を操る人間型異星人と接触。様々な妨害を受けながらも、この魔法の秘密を解きあかし人間型異星人の起源を明らかにするという、ファンタジイ調かつ正統的な宇宙探検物語が展開されている。後者では、今までの正編全ての時代と登場人物を取り揃えた上で、新たな登場人物である反逆者セラを中心とした無法者たちの視点からパーンの歴史が再構築されている。どちらにも共通しているのは、とにかく登場人物が生き生きと描かれていること。また、女性が男性を否定してしまった『女の国の門』とは違って、常に女性が男性と対等のパートナーとして自己の権利を主張し活躍するということである。余りに楽天的な人類中心主義に辟易させられながらも、ついつい最後まで読んでしまうのは、やはりマキャフリイのキャラクター造りの巧みさのせいなのだろうと改めて感じさせられた。
本誌六五年七月号から六九年九月号まで巻頭コラムとして四十七回連載された「SF実験室」が、三十年近くを経てようやく一冊にまとめられた。そのものズバリのタイトルにニヤリとさせられる野田昌宏『「科学小説」神髄』は、SFの原点が、一九二〇年代から四〇年代までのアメリカにあることを再確認させてくれる貴重なエッセイ集である。著者が苦心惨憺して集めた「アメージング」「アスタウンディング」「サイエンス・ワンダー」などのパルプ雑誌を実際に読んでその歴史をまとめ、編集長や出版社の変遷を辿り、ガーンズバックやキャンベルなどの名編集者の生涯を綴る。とにかく面白い。読んでいるうちに、著者のSFに対する、ひいてはSFを産んだアメリカという国そのものに対する愛がひしひしと伝わってくるのである。一次資料に直接当たっているわけだから、紹介は極めて正確、論考は的確かつ説得力に溢れている。本書の第五章などを読めば、どんなニューウェーヴ至上主義者(そんなやつ今時いないか)やサイバーパンク信奉者であっても、SFの黄金時代は一九三九年にあり、と思わず確信させられてしまうことだろう。印刷技術の向上により小さなものまで美しく再現されたパウルのアナクロなイラストを眺めているだけでも楽しめる、間違いなくSFファン必携の書となっている。著者には他にも雑誌に掲載されたきりのコラムが多数あり、個人的には「SF美術館」や「私をSFに狂わせた画描きたち」のようなイラストに関するコラムをまとめたエッセイ集が更に続けて出版されると嬉しいのだが……。創元社さん、よろしくお願いします。
取り上げるのが遅くなってしまったが、今年最大の話題を呼んだ叢書「夢の文学館」は、第三巻『夢の終わりに…』で期待の新鋭ジェフ・ライマンが登場。一九世紀末のアメリカ中西部で生まれ『オズの魔法使い』のモデルともなった世界一不幸な女性ドロシーという架空の人物の生涯と、彼女の生まれ故郷を探る二〇世紀末のホラー映画スターの運命を交錯させて描き、ずっしりと重い読後感を残した佳作となっている。「夢の文学館」からは、この後もウィリス、プリーストとSF作家の作品が立て続けに発行されるので、しばらくは目が離せない叢書になりそうだ。
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