九一年日本版オリジナル短編集『アルーア』で鮮烈なデビューを果たしたリチャード・コールダー待望の第一長編『デッドガールズ』が遂に刊行された。『アルーア』所収の短編「モスキート」「リリム」などと同設定で展開される機械生命と有機生命との種族間対立を背景として、デッド・ガールとなってしまった少女プリマヴェラと少年イギーとの間で繰り広げられる欲望と愛の物語である。
二一世紀半ば、没落の一途を辿るヨーロッパで開発された、ドールという精巧な自動少女人形が世界中で人気を呼んでいた。とりわけ〈未来のイヴ〉シリーズは、量子効果を利用してロボットに偽物の意識を持たせた画期的な商品。ところが、突如彼女たちは人間に対して反乱を起こす。性的接触によってナノロボットを男の体内に送り込み、遺伝子を操作して、彼らの娘たちが思春期を迎えるとドールに変貌してしまうようにしたのである。「デッドガール」と呼ばれる変貌後の少女の一人プリマヴェラに恋をした少年イギーは彼女とともにロンドンを脱出し、バンコクへと向かうが……。
人形と人間、男と女、西洋と東洋などあらゆる二項対立を解体し、両者の領域を侵犯させていくコールダーの手つきは相変わらず鮮やかである。本書では、ドールの絶滅を計る〈人間戦線〉、ドールの脱走を厳しくチェックするアメリカなどの政治的抑圧が執拗に描かれる。その抑圧の厳しさゆえに二人の逃避行は悲劇的様相を帯びるわけだが、〈人間戦線〉のリーダーがヴラド・ツェペシュ(生前のドラキュラ)の末裔との噂によってドラキュラに譬えられるドールのイメージと通底してしまうことからも明らかなように、ここでも抑圧者と被抑圧者の対立は既に根底から揺らいでいる。
かくして、原型である「リリム」でも描かれた人類の滅亡=ドールの王国の誕生が再度語られることになるのだが、この壮大な進化論的な人類の運命が実は一人の男の無意識から生じたという奇抜なアイディアに、本書の独創性の核がある。他にも、対話ソフトウェアによって会話する雑誌、プリマヴェラの夢の中に入り込んで右往左往する人々というディック的な小道具、舞台設定など見るべき点は多いのだが、何より本書で強調しておきたいのは、冒頭でも述べたように一五歳の少女と少年の叶わぬ愛の物語としての側面だ。必然的に悲劇で終わらざるを得ない二人の運命。美しくもせつないラストシーンには思わず泣かされてしまった。サイバーパンクを消化しきったSFの新たな可能性を示す傑作。必読である。
それにしても、ドラキュラのイメージには、よほど怪異を好む者を引きつけて止まぬ魅力があるようだ。キム・ニューマンの『ドラキュラ紀元』は、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』に真っ向から挑んだ、歴史改変ならぬ虚構改変ものの力作である。
一八八五年、ヘルシング教授はドラキュラに敗れた! ドラキュラ伯爵は自らの血統を次々と拡げ、ついにはヴィクトリア女王と結婚してイギリスを統治することとなる。そんなある日、国内で残虐な連続殺人事件が発生。ヴァンパイアの娼婦たちが内蔵を切り裂かれて殺されていく。内閣を背後で操る組織の諜報員ボウルガードに事件解明の命が下された……。
一九世紀末、ヴィクトリア朝時代の霧深きロンドンをこよなく愛する人にとって、本書を読むことは至福の体験となるだろう。作者の入念な考証のもと、作中に登場する実在人物は優に百五十名を超えている(巻末の労作「登場人物辞典」による)。また、ヴィクトリア朝を舞台にした様々な小説・ドラマの登場人物が、この現実世界と混じりあって活躍するのも本書の読みどころの一つ。もちろん、当時の風俗、人物や小説に全く興味がない人にとっても本書は充分楽しめるように出来ている。諜報員ボウルガードや、一六歳の美少女吸血鬼ジュヌヴィエーヴ(実は四七二歳)といった主な登場人物は作者のオリジナルなのである。娼婦殺しの犯人は冒頭の章でいきなりわかってしまうので、後は主人公のロマンスや吸血鬼対レジスタンスの行方を追いながら読んでいけばよい。知っている名前にニヤリとするもよし、知らない名が出てくる度に巻末を引くもよし、どちらにせよ、楽しく読めること請け合いの作品だ。
楽しさで言えば、こちらも負けていない。奇才ルーディ・ラッカーの日本版オリジナル短編集『ラッカー奇想博覧会』は、十一の短編と二編のエッセイを収める、ユーモラスかつユニークな作品集。慣性巻き取り機の発明から生じるドタバタがエスカレートしていく「慣性」、宇宙空間での初めてのセックスを売り物にしようと考えた男の話「宇宙の恍惚」、デジタル化されてソフトウェアとして保存される脳の悲劇を描いた「柔らかな死」辺りがやはり集中のベストになるだろうか。スターリングとの共作「クラゲが飛んだ日」、異文化との出会いによる衝撃を直截に語った日本旅行記二編、全編に付された著者解説など、ラッカー・ファンには見逃せないアイテムを満載したお買い得な一冊である。
フィクションではないけれど、筑摩書房から気になる本が二冊発行されている。『アヴァン・ポップ』は、九二年の夏には日本にも滞在し、SF界でもその名を知られた気鋭の英文学者ラリイ・マキャフリイの独創的かつ刺激的な評論・インタビュー集である。アヴァン・ポップとは「ポップ・カルチャーを使い、ポップ・カルチャーをラディカルなものにしようとし、しかも、人々の現実を変えようと努力している芸術」(「季刊SFアドヴェンチャー」九二年秋季号「ラリイ・マキャフリイ・インタビュウ」より)であるという認識を基本にして、本書では文学、ロック・ミュージック、映像に至るまで幅広いパースペクティヴの下、様々な作品を取り上げている。
アメリカ文学におけるピンチョン以降の作家としてギブスン、スターリングを位置づけたり、ポストモダン芸術として日本のボンデージ・アーティストAZZLOにインタビューしたりしている箇所も興味深いが、中でも「音楽的SF論またはSF的音楽論」と題された一章が、パティ・スミスに代表されるニュヨーク・パンクとロンドン・パンクの差異を押さえつつ、パンクのルーツとも言うべきルー・リードの分析を通じてギブスンとも共通する特色を浮かび上がらせるという極めて正統的なパンク/サイバーパンク論となっており、面白く読むことができた。
その『アヴァン・ポップ』の中でもスリップストリーム作家の代表格としてインタビューされていたスティーヴ・エリクソンの『リープ・イヤー』は、一九八八年の大統領選挙に取材したノンフィクションである。ロスからニューオーリンズ、ニューヨークとアメリカ中を移動して取材しながら、エリクソンは共和党・民主党を問わず全ての候補を辛辣に批評する。ただ、やはり一筋縄ではいかない彼のこと、アルバート・ゴア上院議員が彼の後を追いかけてきたり、トーマス・ジェファーソンの愛人サリーの呼びかけが繰り返し現れたりして、過去と現実と幻想が入り混じり、不思議な迫力を作品に持たせることに成功している。ちなみに、本書の中でも言及されていた、ゴア夫人提唱によるロックの歌詞検閲制度だが、これに敢然と反旗を翻し、八八年大統領選に強烈な働きかけを行ったアメリカ人アーティストがいたことを忘れてはならないと思う。そう、フランク・ザッパである。『アヴァン・ポップ』では、たった一行登場するに過ぎない彼ではあるが、実は彼こそ最も「アヴァン・ポップ」の名を冠するにふさわしい音楽家だったのではないかと思うのだが、どうだろうか。という所で、以下次号。
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