SF Magazine Book Review

1995年6月号


『時間的無限大』スティーヴン・バクスター

『黎明の王 白昼の女王』イアン・マクドナルド

『蟻』ベルナール・ウエルベル

『風の裏側』ミロラド・パヴィチ


『時間的無限大』スティーヴン・バクスター

(1995年3月15日発行/小野田和子訳/ハヤカワ文庫SF/600円)

 一口に「ハードSF」と言っても千差万別。様々な受け取り方や切り口があり、十人十色である。詳述するとキリがないので、筆者なりに簡便な定義をしておくと、「最新の科学的知識をもとに科学的論理によってプロットを展開していくことに主眼を置いた物語」ということにでもなるだろうか。「科学的知識」に重点を置いて構築された世界での冒険物語に仕立て上げればニーヴンやホーガンの諸作となり、論理性を重視した展開を行えば『重力の使命』や『竜の卵』になるわけだ。「ハードSF」を「本格SF」の意味で使ったり、論理性にこだわる余り一部のファンタジイまで「ハードSF」扱いする傾向は好きじゃない。個人的な好みを言わせてもらえば、やはり「ハードSF」とは、宇宙論、天体物理学、量子力学など、ハードな最新物理学(ソフト・サイエンスじゃ駄目なのよ)の知見を踏まえて、めくるめくイメージを読者に湧き起こすような作品であってほしいのである。
 ここしばらく、これぞハードSFだっ! と叫びたくなるような作品は中堅やベテランの作(シェフィールド『マッカンドルー航宙記』、アンダースン『タウ・ゼロ』など)ばかりで、新人の翻訳は事実上途絶えていた。九三年末、『天の筏』でバクスターが初めて翻訳されたときも、少年の成長物語としての側面が強く印象に残り、ハードSFとしての衝撃はそれほどなかったというのが正直な感想だった。ところが、ここに紹介するバクスターの長編第二作『時間的無限大』は、誰がどのような読み方をしてもこう呼ぶしかないだろうという正真正銘のハードSFで、しかも壮大なスケールを持った本格SFでもあるという嬉しい作品となっている。
 五三世紀の太陽系は、異星種属クワックスによって占領されており、人類が作り上げた様々なテクノロジーは制限されていた。そこへ、千五百年前に開発されたワームホール・ゲートの片方が亜光速の旅を終えて帰還してくる。ゲートのもう片方は、千五百年前の木星付近にあり、ワームホールを通って過去への時間旅行が可能になるのだ。クワックスの監視の目を盗んで〈ウィグナーの友人〉なる団体の宇宙船がそのワームホールをくぐり抜けてしまう。紆余曲折を経ながらも、これを追ってクワックスの乗るスプライン艦が三九世紀の太陽系に乗り込んできた。人類の運命や如何に。そして〈ウィグナーの友人〉の真の目的とは……?
 エキゾチック物質(負のエネルギーを持つ物質)、ASテクノロジー(延命技術)、GUTドライヴ(相転移エネルギー使用)などの用語に初めは戸惑うかもしれないが、作中でわかりやすく説明されているので非理系の読者でも充分理解可能。量子力学と観測理論を駆使したメイン・アイディアに呆然としながら一気に読み終えることができる。何より素晴らしいのは、木星を背景にして浮かぶ四面体(一辺約五キロ!)というワームホール・ゲートのイメージの美しさである。このゲートから、巨大な肉塊であるスプライン艦が潮汐作用によって表面の肉を沸騰させながら出現する場面は圧巻。もちろん、文字通り「時間的無限大」を体験できるラスト・シーンも凄いのだけれど、これ以上書くとネタばらしになってしまうので後は実際に読んでみてほしい。他の作品と共に一つの未来史を形成しているのも、バクスター作品を読む魅力の一つである。先月号の年表と合わせて読めば面白さ倍増間違いなしだ。ともあれ、本書は、本書の中でワームホール・ゲートが二つの時空を結ぶインターフェースとして描写されていたように、SFという書物が未知の世界と読者を結ぶインターフェースに他ならないことを筆者に再確認させてくれた。

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『黎明の王 白昼の女王』イアン・マクドナルド

(1995年2月28日発行/古沢嘉通訳/ハヤカワ文庫FT/780円)

 一口に「インターフェース」と言っても千差万別。コンピュータの世界にグラフィカル・ユーザー・インターフェースを持った様々なOSやアプリがあるように、未知の世界と読者を結ぶインターフェースとしての小説にもファンタジイやSF、今や一つのジャンルとして確立した感のあるシミュレーション・ノベルやヤング・アダルトなどがあると言っても良いように思われる。このうち、ファンタジイとSFのおいしい所を取り出して融合させた傑作が登場した。言ってみれば、マックOSとWindowsを足して二で割ったようなものだ(ホントか?)。ディック記念賞を受賞した、イアン・マクドナルドの第三長編にして本邦初訳長編『黎明の王 白昼の女王』がそれである。本書はFT文庫から刊行されてはいるものの、読み方次第では立派にサイエンス・フィクションとして通用する作品なのだ。
 一九一三年、アイルランドの森で妖精に出会った一五歳の少女エミリーの悲劇を描く第一部はまだ正統ファンタジイの趣があるが、これが、IRAの逃亡兵に恋する少女ジェシカの出生の秘密が明かされる第二部や、日本刀を手にして妖精と戦う女性イナイが活躍する第四部(第三部はつなぎ)になると、独特の饒舌な文体やイメージ喚起力溢れる描写の妙と相まって伝統的なファンタジイの範疇に留まらない、マクドナルド独自の世界を切り開いた傑作となっている。
 例えば、本書では、妖精の世界を「すべての人間の記憶と想像が蓄えられている世界」、「ミグマス」として位置づけ、そこからある種の精神の持ち主が妖精を作り出すことができると説明している。ミグマス・エネルギーが強い所には物理的風景に「神話線」なるものが焼き付けられ、「神話残響」がオクターブ単位で残るのだ。この辺りの作者の手つきからは、明らかにSF作家としての資質がうかがわれて興味深かった。まずは、ユニークなファンタジイから翻訳が始まったマクドナルドであるが、今後の紹介にも是非期待したい。

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『蟻』ベルナール・ウエルベル

(1995年3月5日発行/小中陽太郎・森山隆訳/ジャンニコミュニケーションズ/上下各1500円)

「私を魅了してやまないもの、それはあのアリの巣だけである」と語る著者が長年の研究の成果を傾けて執筆した大作、フランスでは続編と合わせて一大ベストセラー、「面白くなかったら代金をお返しします!」という返金保証付き、などの鳴り物入りで、ベルナール・ウエルベルの『蟻(上・下)』が刊行されている。確かに、微に入り細に渡った蟻の生態描写には鬼気迫るものがあり、大変な迫力である。蟻やカタツムリのセックス描写など、昆虫学者の論文ならいざ知らず、まず他の小説では読めないものだろう。意外にも(失礼)、小説としての展開もきちんとしており、蜂に刺されて死んだ蟻の研究者エドモンの手記、その甥でエドモンの作った地下室へ入り込んでいくジョナサンの話、一つの巣から旅立ち新たな巣を作り出す蟻たちの話、この三つのエピソードが交代で語られ、最後に一つに結ばれていく。主人公の名前がジョナサン・ウエルズであることからもわかるように、本書はウエルズの短編「蟻の帝国」へのオマージュでもある。唯一の欠点は、中に出てくるパズル(六本のマッチで三角形を四つ作れというもの)が、登場人物が悩む程難しくないことだろうか。本誌の読者ならば、三〇秒も立たないうちに解けてしまうだろう。

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『風の裏側』ミロラド・パヴィチ

(1995年2月28日発行/青木純一訳/東京創元社/1500円)

 内容の違う男性版と女性版で話題を呼んだ『ハザール事典』の作者ミロラド・パヴィチの第三長編『風の裏側』は、前作に劣らぬ仕掛け本。何と表からも裏からもひっくり返して読めるというエース・ダブル方式(例えが古くてゴメン)である。ただ並べただけのエース・ダブルとは違って、こちらの仕掛けには作者の入念な意図があってのことなのでお間違えなきように。片や一七世紀セルビアの石工レアンドロスの物語、片や二〇世紀ユーゴの女子大生ヘーローの物語。全く関連がないように見えて実は細部に奇妙な一致があるため、二つの物語が織りなす二重奏が存分に楽しめる。読み終わって思わずため息をついてしまうような、見事な出来映えの一冊である。

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