SF Magazine Book Review

1995年3月号


『ハイペリオン』ダン・シモンズ

『ヴァーチャル・ライト』ウィリアム・ギブスン

『地獄から来た青年』A&B・ストルガツキイ

『熱帯雨林の彼方へ』カレン・テイ・ヤマシタ


『ハイペリオン』ダン・シモンズ

(1994年12月15日発行/酒井昭伸訳/早川書房/2900円)

 先月号で個人特集も組まれて、何を今さらといった気もするが、近年これほど翻訳が待望され、かつ期待を裏切らなかった作品も珍しい。今月は問答無用の一押し。この作品から紹介しよう。
 時は二八世紀。地球は既に滅び、人類は連邦と呼ばれるゆるやかな統治体のもと、銀河系全体に広がっていた。その中の一つ、惑星ハイペリオンには、人類が住み着く前から存在する、抗エントロピー場に包まれた謎の塔〈時間の墓標〉(タイム・トゥーム)があった。この塔を守る伝説の巨人が、体中に生えた刺と四本の腕、赤く燃える双眼を持つ「シュライク」だ。〈時間の墓標〉への巡礼を旨とするシュライク教団が設立され、全銀河から巡礼者がハイペリオンに訪れている。そんなある時、抗エントロピー場が膨張し、〈時間の墓標〉がついに開くことになった。これを知った教団は、その秘密を探るべく、最後の巡礼者として七人を選び、ハイペリオンへ送り出す。時を同じくして、やはり〈時間の墓標〉に興味を持つ宇宙の蛮族アウスターがハイペリオンへの攻撃を開始した……! というのが、ダン・シモンズのSF処女長編にしてヒューゴー賞受賞の栄誉に輝く傑作『ハイペリオン』の舞台設定だ。設定だけでこんなにわくわくさせてくれる作品はそうザラにあるものではない。しかも、シモンズには筆力がある、博識がある。とにかく読ませるのである。最初はハードカバー五百頁以上という長さに恐れおののきながら取りかかったのだが、途中でもう止まらなくなり、一気に読み終えてしまった。
 本書の魅力の第一は、従来のSFが描いてきた風景をそのままいくつも取り込んでいることだろう。これは、六人の巡礼者が自分達の物語を語るという小説内小説の形式を本書が取っていることと不可分な特色である。異星の宗教を人類学的見地から描いた「神父の物語」はビショップ風、人工知能同士の殺害事件を扱う「探偵の物語」はギブスン風、といった具合に挙げていけばキリがない程多くの引用が詰め込まれ、読者は語り手が変わる度に新鮮な物語に出会えるという仕組みは、まさしく長編六冊分のアイディアをつぎ込んだ一人アンソロジーと呼ぶにふさわしい(個人的には、とにかく「学者の物語」に泣かされてしまった)。しかも、それらが単なる引用、単なるオマージュで終わっていない所にシモンズの強烈な個性が感じられる。全ての物語を緊密にまとめあげている一つのテーマが、本書には存在しているのである。
 その主題とは、簡単にまとめてしまえば、運命に対峙し、挑戦する個人とでも言うべきものだ。巡礼者は皆ハイペリオンに関わる不合理な運命に翻弄され、ここまで辿り着いた者ばかり。彼らのハイペリオンという名の運命に対する挑戦が、それぞれの不屈の意志が、何より我々読者の胸を打つ。同時に発行されたホラー/アクション小説『殺戮のチェスゲーム』にも顕著に現れている登場人物の強固な信念が、本書の持つもう一つの魅力になっていると思う。
 念のために付け足しておくと、結局、本書では多くの謎は解かれることはない。シュライクとはいったい何なのか。大佐が〈時間の墓標〉で見た未来の死体は誰のものだったのか。学者の娘の運命は……? すべての謎は次作『ハイペリオン陥落』で明らかになると言う。後は一刻も早く続編が刊行されんことを待つのみである。

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『ヴァーチャル・ライト』ウィリアム・ギブスン

(1994年11月30日発行/浅倉久志訳/角川書店/1900円)

「記憶屋ジョニイ」映画化で盛り上がる(?)ウィリアム・ギブスンだが、九三年発表の最新長編『ヴァーチャル・ライト』が角川書店から刊行された。
 八〇年代後半に沸き上がったサイバーパンク運動の新しさとは何だったのだろうと、九〇年代も半ばの今つらつら考えるに、電脳空間というヴァーチャルスペースの発見に代表されるハイテク・ガジェットの新奇さのみならず、使い古されたSFというジャンルに八〇年代後半の高度資本主義社会という「現実」を持ち込んだことにあったというのはもはや言い古された表現であろうか。「現実」そのものの新奇さが逆にサイバーパンクを面白くしていたという皮肉を本当に理解していたのは、あまた存在したサイバーパンク作家の中でもギブスンだけだったのかもしれない。
「ウィリアム・ギブスンは何も創造しない。彼の世界に何も目新しいものはなく、すべては窃盗によって構成されている」(『現代SFのレトリック』九二年/岩波書店/一七四頁)と、これは巽孝之氏によるギブスン論の冒頭、ギブスンに対する共通見解をまとめた部分だが、ここに彼が「コラージュ・アーティスト」と呼ばれる所以があることは言うまでもない。つまり、ギブスンが作品を書くということは、現実社会を抽出したいくつかの要素を並べてみせ、そこに何らかの関連を持たせるということなのである。本書『ヴァーチャル・ライト』においても、その姿勢は一貫している。
 西暦二〇〇五年のサンフランシスコ。大地震によってベイ・ブリッジは倒壊し、多くのホームレスが居住する一種の共同体を橋の上に形成していた。そこでメッセージ運搬業に携わる一人の少女が、盗んだサングラスがもとで何人かの男に追われることになる。このサングラスこそ、光子を必要とせず直接視神経に作用して視覚を発生させることができる画期的な装置「ヴァーチャル・ライト」であった。そのグラスに隠された秘密とは……。
 といった具合に軽快なテンポで物語は進むが、本書の最大の読みどころは、ギブスンの新境地とも言うべき軽妙なストーリイ展開やユーモラスな人物描写にあるのではない。赤瀬川原平の提唱した超芸術「トマソン」を探し求める人類学者山崎、エイズの特効薬を体内に持つ男シェイプリーを崇める人々、懐かしの電脳空間を自ら再現してみせた〈欲望共和国〉(リパブリック・オブ・デザイア)、文化のハイブリッドでもある橋上文化、などなど様々な芸術、宗教、文化を結びつけることによって逆照射される我々の九〇年代という「現実」。見えない現実を小説として見事に視覚化してみせた所にこそ、本書が「ヴァーチャル・ライト」と題された意味があるのだろう。

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 今回は二つの大作に圧されて後は駆け足の紹介となってしまうが、ご勘弁を。

『地獄から来た青年』A&B・ストルガツキイ

(1994年11月30日発行/深見弾訳/群像社/1854円)

 ここ数年、ストルガツキイ兄弟の作品を精力的に出版している群像社から、七四年に発表された中編『地獄から来た青年』が刊行された。地獄とは、果てしない戦いが続く未開の惑星ギガンダのことで、科学技術の進歩した地球人がギガンダの瀕死の青年を救い、地球人の住む惑星に連れてくる、しかし……といったストーリイである。青年とロボットの頓珍漢なやり取りがユーモラスで、古き良きサイエンス・フィクションを偲ばせる所はあるが、作品自体の出来は、作者の他の傑作を知る者としては物足りないレベルにとどまっている。

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『熱帯雨林の彼方へ』カレン・テイ・ヤマシタ

(1994年11月30日/風間賢二訳/白水社/2600円)

『器官切除』が評判を呼んだ白水社の叢書《ライターズX》から、またもや怪作が登場した。日系アメリカ人がブラジルTVのソープ・オペラに影響を受けて書いたという『熱帯雨林の彼方へ』は、頭に高速回転するボールを浮かべる日本人、三本腕を持つアメリカのビジネスマン、三つの乳房を持つフランスの人類学者達が繰り広げる悲喜劇を、そのボールの視点から語るという奇天烈な小説だ。こんな面白い話が毎週放映されているのなら迷わずブラジルへ行くぞ、と思ってしまう程の面白さ。是非ご一読を。という所で、以下次号。

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