イアン・ワトスンの野心作、《黒き流れ》三部作の完結編『存在の書』が刊行された。黒き流れ(ワーム)が住む川を挟んで世界が二等分され、片や女性優位社会、片や男性優位社会になっているというユニークな設定から始まる『川の書』で既に背筋がゾクゾクし、その設定を宇宙的なスケールで再構成する『星の書』に思わず唸ったあなたも、この『存在の書』では更に驚愕すること間違いなし。シリーズを未読の方は今すぐ最初の『川の書』から読んでみてほしい。三冊まとめて読む楽しさを味わえるあなたは本当に幸せ者だ。
前作で故郷に戻った主人公ヤリーンは、早速ゴッドマインドの計画に逆らうべく、あるプロジェクトを実行に移す。人類が滅亡するまでに残された時間はあと二年もない。そんなある日、「真実の探求者」ギルドから誘われて、お供と一緒に隠れ家へ出かけるヤリーン。そこで時間が遅延するキノコ薬を飲んだヤリーンを衝撃的な体験が襲う……!。
本書の中でも特にこの部分(第三部)の、認識の限界に挑戦したかのような描写は凄まじいものがある。『虎よ、虎よ!』や『果しなき流れの果に』のクライマックスを連想させると言ったら誉めすぎだろうか。これがあるからこそ第四部で描かれる新しい世界の存在感が増すわけだ。初期の観念的な諸作に比べると、ワトスンの小説の書き方が随分と理解しやすく、またバランスのとれたものになっていることが良く分かる。
誰もが言うように、本シリーズの魅力は、ヤリーンという一人の女性の冒険物語と「人間存在とは何か」という形而上学的問題を見事に融合させた点にある。そこに、主な舞台となるヤリーンの世界のユニークさ、物語の書き手を巡る仕掛けの不思議さ、人間の理解を遥かに超えたゴッドマインドとワームの対立などの要素が加わって、千ページ以上の物語を一気に読ませるだけの強烈な吸引力を本シリーズは備えている。SFの一つの到達点として高く評価すべきだろう。
平和なイギリスの田舎町ワーチェスターで、連続殺人事件が起きる。その死体は、どれも狂暴な肉食獣に食い散らかされたかのようだった。それもそのはず、殺したのは現代に甦った肉食恐竜(カルノサウルス)だったのだ! ミイラ化した恐竜の遺伝子とニワトリの卵を使って現代に再生させられた恐竜たち。その秘密を探ろうとした主人公パスカルは逆に捕らえられ……。
というのが、何と『ジュラシック・パーク』より七年も前に発表されていた同趣向の恐竜パニック小説『恐竜クライシス』のストーリー。動物園をテーマパークに、ミイラ化した恐竜を琥珀に封じ込められた蚊に、それぞれ置き換えれば『ジュラシック・パーク』の設定そのものである。話の展開もよく似ているし、やはり影響を与えているのではないだろうか。まあ、それは別にしても、本書は快調なテンポで読ませる娯楽作として充分楽しめる出来になっている。
元ギタリストで現在ハイテク企業宣伝会社の経営者という異色の経歴を持つ新人作家ピエール・ウーレットのデビュー作となる『デウス・マシーン(上・下)』は、最新の遺伝子工学だけでなくコンピュータテクノロジーも駆使して「機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)」即ち人工知能の誕生を描いた骨太の近未来スリラーである。
西暦二〇〇八年のアメリカ。五億ドルもの国家予算がいくつかの企業に流出していることに気づくいた行政管理予算庁の役人が、聴聞会の席上で謎の死を遂げる。予算の流出先の一つは、メキシコのとある企業。そこで密かに行われている人体実験研究によって作り出されたウィルスが、彼の死の原因だった。別の流出先の企業では、ある天才プログラマによって人工知能が産み出されようとしている。この二つのプロジェクトが結びついたとき、奇怪な生命体の進化が始まった……。
ヒトDNAの三〇億塩基対のうち多くを占める無意味な配列(イントロン)に何か暗号が隠されていたら、というアイデアをコンピュータの発達とうまく結びつけ、イントロン対人工知能という一大スペクタクルに練り上げた作者の手腕は見事である。しかも、そこから、「針犬」や「メデューサ鰐」などという奇怪な生命体が徘徊する「ミュータント・ゾーン」というバイオテクノロジカルな風景が出現するに至っては、もはや単純なパニック小説の域を越えた、強烈な日常異化作用を持つSFたり得ていると言えるだろう。是非一読をお勧めしたい一冊である。
グレッグ・ベアの『天界の殺戮(上・下)』は、異星人の計略による地球の滅亡を描いた前作『天空の劫火(上・下)』から五年後に書かれた続編である。
地球が滅んでから八年後。謎の殺戮者とともに地球にやってきたもう一種類のエイリアン、《保護者》の協力を得て、本書の主人公マーティンは八十二人の仲間とともに地球を襲ったエイリアンへの復讐の旅へ出発する。旅の途中で様々な人間関係の軋轢に悩みながらも、ついに殺戮者の故郷の惑星を見つけ攻撃を開始するマーティンたち。ところが……。
敵の異星系や途中で地球人に加わる異星人、通称「クミヒモ」の生態系などに、はっとさせられる描写はあるけれど、基本的には閉鎖空間における人間たちの権力闘争や心理描写に主眼が置かれており、本格SFとしては今一つ盛り上がりに欠けている。
SF味は薄いものの、核戦争後の世界を一人の女性の視点から淡々と描いた佳作となっているのがメグ・ファイルズの処女長編『メリディアン144』である。太平洋のマリアナ諸島の一つ(東経一四四度)で、運良く生き残った主人公が、自分の生涯を思い起こしながら、生き残った人を求めて島をさまよい歩く……。。妙に懐かしい南の島の風景とともに主人公の生き方が印象に残る。良く出来た心理小説として興味深く読むことができた。
最後に、ちくま文庫から出ているアンソロジーを一冊。『ヴィクトリア朝空想科学小説』は、以前に編まれた『ヴィクトリア朝妖精物語』の姉妹編とも言える、一九世紀後半から二〇世紀初頭の英米短編小説を一四編(うち本邦初訳が九編!)収めたユニークなアンソロジーである。サイエンス・フィクションという呼び名もなかったこの頃だが、想像力溢れる諸作を読むと、これこそSFの原点なのだという気がしてくるから不思議である。大仰な語り口に時代を感じさせる作品もあるが、ベラミイ「来るべき能力」などは今読んでも充分面白い。霧のロンドンに思いを馳せながら読むのもまた一興であろう。
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