1996年度(95年11月〜96年10月)翻訳SF概況
/1997年2月号
一九九六年度(九五年十一月〜九六年十月)の翻訳SF概況である。星敬氏のリストによれば、ファンタジー・ホラーを合わせた新刊書の総出版点数は一八三点(周辺書、アンソロジー含む)。昨年度が一八二点であるから、ほぼ同数である。印象としては、ハードカバーの点数が減り、シリーズものを除いた文庫SFの新刊数が多少は増えたかな(ハヤカワ文庫は一四点から二一点へ、創元は三点から五点へ)といった感じである。出版社別点数も、早川五五点(昨年度五二点)、創元一六点(一四点)、角川一二点(一三点)、扶桑社九点(九点)、文春七点(九点)といったところで昨年度とほぼ変わりなし。
さて、内容の方はと言うと、話題作・問題作は多々あるが、昨年度の『ハイペリオン』二部作ほどの目玉商品がなく、全体としてはこじんまりとした印象を受けた。
そんな中で、九六年度の翻訳SF界最大の話題は、何と言っても、原書刊行から二九年、名のみ高かったS・R・ディレイニーの六七年度ネビュラ賞受賞作『アインシュタイン交点』が遂に翻訳されたことだろう。遥かな未来、放射能による突然変異で変貌を遂げた人類(正確には人類ではない)が、新しい世界を手に入れるために(?)、過去の神話や伝説をなぞりながら生活している。楽器にもなる山刀の使い手ロ・ロービーは、愛するフライザを何者かに殺され、失ってしまうが、ある日、洞窟内のモニタを通じてキッド・デスから自分がフライザを殺した犯人であることを告げられる。死人を甦らせる能力を持つ彼にフライザを呼び戻してもらうため、キッドを探す旅に出たロービーは様々な試練の後、ようやくキッドと対峙する……。
レビューを書いた時点では、ついに、あの『アインシュタイン交点』が読めるという興奮の余り手放しの絶賛となってしまったが、今回じっくりと再読してみた結果、少し古びてしまったところもあるにはあるけれど、やはり傑作との意を強くした。オルフェウス神話とビリー・ザ・キッドの伝説を大きな軸とし、そこに知性を備えたコンピュータ、ミノタウロス、ドラゴン、食肉花などのファンタジイ・SFの伝統的意匠をからみ合わせて、古い世界から新しい世界への交代劇と、物語の主権を巡る登場人物および作者のメタ文学的な戦いとをダイナミックに、かつシンボリックに描いた本書は、常に華麗なるディレイニーの諸作の中でも、過剰なまでの技巧を凝らした究極のレトリカル・サイエンス・フィクションである。本誌八月号のディレイニー特集(様式から離れた内容などというものは存在しないと主張する、ディレイニーの創作作法とも関わる論文「約五七五〇語」を含む)は、迷宮のような本書を読み解く上で有益な示唆を与えてくれる。併読をお勧めしておきたい。
九四年には集英社文庫《ジュール・ヴェルヌ・コレクション》が刊行され、九五年には『タイム・マシン』誕生百年を祝ったアンソロジーも刊行される等、ここ数年ヴェルヌ、ウェルズというSFの両始祖への関心が高まっているようだ。今年度は、ジャストシステムからウェルズの原点を示す短編集『イカロスになりそこねた男』とヴェルヌのユーモラスな長編『地軸変更計画』(短編とのカップリング)が刊行された他、映画化に合わせた形でウェルズ『モロー博士の島』が新訳で再刊されている。SFというジャンルが、ほぼ彼らの活躍した時代から百年を経て爛熟の極みに達しジャンルとしての方向性を見失っているかに見える現在において、彼らの足跡を辿り直す意義は充分あると思われる。
ジャンルの隆盛期に活躍したビッグ3のうち、ハインラインもアシモフも亡くなり、もはや現役はクラークだけとなってしまった。地球に衝突する小惑星の軌道を変えようとするプロジェクトをリアルに描いたクラークの最新長編『神の鉄槌』は、常温核融合、火星移民、新興宗教、ヴァーチャル・リアリティなどの最新トピックを巧みに織り込んだ未来社会の描写が秀逸な佳作である。アシモフは、初期作品集が『カリストの脅威』『ガニメデのクリスマス』『母なる地球』の三分冊で刊行された他、ユーモア・ファンタジイ『小悪魔アザゼル18の物語』、没後にまとめられたエッセイを含む作品集『ゴールド』の計五冊が刊行され、根強い人気を窺わせている。ビッグ3以外の大家としては、ブラッドベリ が、自らの創作作法や友人の想い出、SF論、都市論などをまとめたノンフィクション『ブラッドベリがやってくる』『ブラッドベリはどこへいく』の二冊が同時刊行された。ハーバートが、三千人を乗せた宇宙船内で人工知能を超えた人工意識の誕生を描いた『ボイド――星の方舟』は、この分野におけるクラシックと見なされており、長らく翻訳が待たれていた作品であった。同じ叢書〈地球人ライブラリー〉からは、長らく絶版であったレックス・ゴードン『宇宙人フライデイ』が新訳で再刊されている。
後は、中堅、新人とりまとめて、テーマ別に作品を概観していきたい。
まずは、ストレートに宇宙を舞台にした物語から。新鋭ジョン・バーンズが、太陽をめぐる巨大宇宙船内での子供たちの成長を一三歳の少女の日記という形でみずみずしく綴った『軌道通信』、合作コンビ、K・J・アンダースン&ダグ・ビースンが、月の裏側に飛来した異星人のナノテクマシンと人類との息詰まる攻防を描いた『無限アセンブラ』、同コンビによる合作第一作であり、月軌道上のラグランジュ点に浮かぶスペースコロニーを舞台に人々のサバイバルを描く『星海への跳躍』などが、地球近辺を舞台にしたもの。太陽系全体を舞台にしたものとして、宇宙の全事象を記述する方程式をオーケストラで表現するという壮大なアイディアを太陽系で巡回コンサートを行うという華麗な物語に仕立ててあげたキム・スタンリー・ロビンスンの『永遠なる天空の調』がある。さらに、五〇億年の眠りから醒めた邪悪意識を倒す鍵を持った幼い姉弟の運命を描いたヴァーナー・ヴィンジのヒューゴー賞受賞作『遠き神々の炎』は、銀河系を股にかけた雄大な冒険物語であった。
次はいわゆるハードSF。『夜の大海の中で』から始まる、機械生命メカニカルと人類との戦いを描くシリーズ第五作、グレゴリイ・ベンフォードの『荒れ狂う深淵』は、銀河系の中心にあるブラックホールへ接近した宇宙船が別の時空に入り込むという壮大かつ厳密に考証されたハードな舞台が設定されている。独自の未来史を構築するスティーヴン・バクスターの《ジーリー》シリーズは既に二作が邦訳されているが、今年度は、直径二〇キロの高密度な中性子星内部に暮らす全長数ミクロンの人類の運命を描いた『フラックス』と、宇宙の支配者ジーリーによって建造された直径一千万光年以上の超巨大円環体〈リング〉の謎が解き明かされるシリーズ完結篇『虚空のリング』の二冊が刊行され、シリーズ全冊の翻訳が完了した。超ひも理論を背景として、一種のパラレルワールドである〈影宇宙〉へと偶然入り込んでしまった科学者と子供たちの冒険を描いた、新鋭ジョン・クレイマーの『重力の影』は、異世界ファンタジイ+ハードSFといった趣の作品である。
時間およびタイムトラベルを題材とした作品としては、ニューヨークで突如起きた時間の進み方が遅くなるという事件を捜査する刑事を主人公に時間の本質に鋭く迫ったJ・P・ホーガンの『時間泥棒』、名作『ふりだしに戻る』の続編であり、主人公が第一次大戦を防ぐために再び古き良きニューヨークへと旅立つジャック・フィニイの『時の旅人』、恐竜絶滅の謎を探るために白亜期末期へと二人の科学者が旅をするロバート・J・ソウヤーの『さよならダイノサウルス』などがあった。
一時期流行したサイバースペースものは、もはやそれを前面に押し出した作品は少なく、前述のクラーク作品がそうであるように、作品の一部に組み込まれた形で利用されているようだ。その中で、ルーディ・ラッカーの『ハッカーと蟻』は、コンピュータ・ネットワークに広がるサイバースペース内の蟻の巻き起こす珍騒動とそれに巻き込まれていく主人公というユーモラスな物語が人工生命の進化という主題を描き出した、堂々たるサイバネティックス・フィクションとなっている。羽の形をしたドラッグによる別世界へのトリップを描いた新人ジェフ・ヌーンの『ヴァート』は、その別世界をサイバースペースに置き換えれば、まさしく一昔前のサイバーパンクそのものと言ってよい、スピード感にあふれ、鮮烈な印象を残す作品であった。
その他、爆弾テロに巻き込まれ失った記憶を取り戻した男と恋人との記憶のずれが生み出すメタフィクショナルなドラマを描くクリストファー・プリーストの『魔法』、退廃した近未来社会で依頼主が殺された事件の真相を探る私立探偵の冴えない活躍ぶりが何とも言えない魅力を醸し出すジョナサン・レセムの『銃、ときどき音楽』の二冊は、それぞれ別の意味で、異色の輝きを放つ作品。今年度の収穫作として強く推薦しておきたい。
この分野は、点数は少ないものの収穫作が多かった。奇才ラファティの比較的初期の作品を集めた第二短編集『つぎの岩につづく』は、愉快なホラ話から様々な惑星に降り立つ調査隊員を描いた比較的ストレートなSF、残酷なイメージを漂わせた怪作まで全十六篇を収める。ジョン・クロウリー『ナイチンゲールは夜に歌う』は、改変世界を守ろうとする秘密結社とそこから逸脱していく男の物語である時間改変ものの傑作「時の偉業」と世界の支配者である青衣の幹部団とやはりそこから逸脱していく男の物語「青衣」の二編を含む異色短編集。巽孝之編の『この不思議な地球で』は、主に八〇年代末から九〇年代始めの単行本未収録作を集めた好アンソロジー。『ヴァーチャル・ライト』と設定を同じくするギブスン「スキナーの部屋」の他、スターリング、カード、バラードなど読み応え十分の作品が多数収録されている。
主なものを簡単にタイトルのみ挙げていく。カードの『地球の呼び声』は、若き主人公ニャーファイの成長物語である《帰郷を待つ星》シリーズ第二作。マキャフリイは、超能力者が活躍する『ペガサスに乗る』の続編『ペガサスで翔ぶ』、《九星系連盟》シリーズの第三作『ダミアの子供たち』および完結編『ライアン家の誇り』の計三冊を刊行。ビジョルドの人気シリーズ《マイルズ・ヴォルコシガン》からは、ヒューゴー賞受賞の『ヴォル・ゲーム』が刊行されている。大河シリーズ《チョンクオ風雲録》は、順調に十、十一巻を刊行した。
非英米圏作家の作品として、死後の世界への航行を年代記風に描いたピエール・ヴェルベール『タナトノート』、同作家による大ベストセラー『蟻』の続編『蟻の時代』、ロシアのターボ・リアリズムを代表する作家ペレーヴィンの短編集『眠れ』などが挙げられる。主なノヴェライゼーションとして、エリザバス・ハンド『12モンキーズ』、テリー・ビッスン『ヴァーチュオ・シティ』など。マイクル・クライトン『ロスト・ワールド』、K・W・ジーター『ブレードランナー2』の二作は、映画に先行する形で刊行された。境界作品としては、バラードの『太陽の帝国』続編『女たちのやさしさ』、W・S・バロウズの長編『ゴースト』などが注目作と言える。
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