市街地の沖合いに浮かぶ直径一キロのコンクリートの島。そこでは〈カスタムメイド・ガール〉社が、顧客の注文に応じて望み通りの肉体を持つ女性を続々と創り出していた。六つの乳房を持ち口は聞けないが感受性の豊かなハナ、巨大な青い目を持つ主人公ジェイド、毛皮と爪を備えた猫娘マリ、左の乳房が煙草入れで右の乳首がライターとなっている重役用娘キャシイ……。彼女たちの辿る数奇な運命を、ワトスンは処女長編らしく熱のこもった筆致で活き活きと描き出していく。
本書を読んだ特に良識あるSFファンからは、男性の望むままの肢体を持つ女性を描くことは男性中心主義に迎合し家父長制を助長するだけではないか、これは単なる女性蔑視のポルノグラフィー(男性の欲望充足小説)に過ぎないのではないのか、という非難がごうごうと湧き上がることは必至であろう。ただし、本書は通常のポルノ小説と明らかに一線を画す特徴を持つ。一つ目の特徴は、女性の持つセクシュアリティから「艶かしさ」「妖しさ」を排除し徹底して客観的なオブジェとして描いていること。煙草入れの乳房を持つキャシイはもちろんのこと、魅力的な肉体を持っているはずの主人公ジェイドにしても、最初の顧客とは自らの肉体を隠す「人肌」をまとってしかセックスできない。挙句の果てに、ジェイドは「ソフト・ドリンクの自動販売機」にも例えられるセックス・マシンに入れられて、彼女は文字通り一つの「オルガスマシン」と化してしまう。そこには使用者の男性向けメッセージとしてこう記されているのだ。「オルガスムス後三十秒以内に抜くこと。シャッターは自動的に閉まります」(百十五頁)。ここまで来れば、いかなる読者であろうとも、本書のねらいが女性搾取そのものではなく、作者があとがきで述べているように、女性搾取の諷刺にあることはわかると思う。全体主義をいくら迫真的に描いているからといってオーウェルの『一九八四年』が全体主義礼賛小説ではないのと同様に、いくら女性搾取が活き活きと描かれているからといって本書は決して単なる女性蔑視ポルノ小説ではないのだ。女性搾取システムに対して反乱が起きるというストーリイ展開、「与えなさい、思いやりなさい、従いなさい」というカスタムイド・ガール社のスローガンなどから、筆者は思わず全体主義的ディストピアの悪夢を描いた『一九八四年』を連想してしまった。読者の意識が女性搾取のユートピアからディストピアへと変貌するその瞬間に、本書のアンチポルノグラフィーとしての存在意義があると言えるだろう。
もう一つの特徴は、特別な男のために作られたはずのカスタムメイド・ガールたちが、決して顧客の愛を一心に受けているとは言い難い点にある。特別な男に愛され大切にされたいというジェイドの「女の子らしい夢」はついに最後まで満たされることはない。凡百のポルノが男性の欲望と女性の欲望とが容易に一致するというあり得ざる欺瞞を描くとするなら、本書では、男性の欲望と女性のロマンチシズムとのすれ違い、さらには、すれ違うことに対する女性側の怒りがはっきりと描かれているという点において、これまたアンチポルノグラフィーと呼ぶべき根拠が示されている。
御木本の真珠島、横尾忠則のポスターなどが登場し、日本に滞在した体験が数多く盛り込まれているところも、本書の読みどころの一つ。何はともあれ、観念的・哲学的な奇想SFの書き手としてのワトスンしか知らなかった我々の前に現れたこの衝撃的な処女長編によって、ワトスンの芸風の幅広さ、奥深さを確認できたことは幸運である。
恥ずかしながら『指輪物語』も『ホビットの冒険』もいまだに読んだことがないファンタジイ音痴の筆者としては、果たしてこの物語が楽しめるのだろうかと多いに不安を持って読み始めたわけだが、読み終えた今では自信をもって断言できる。読んでいなくても大丈夫! 絶対に楽しめる。もちろん読んでいた方がより楽しいに決まっているとは思うが、そうでなくても、ストレートな冒険物語として十二分に面白いのだ。ワイドスクリーンバロックというには素直すぎるし、ハードSFというほどのハードさはないけれど、確実にそれらの要素を消化し、最新の宇宙論を踏まえた上で壮大なスケールを漂わせた佳作に仕上がっている。主役たちが生き生きと描かれていることは言うまでもないが、口の悪い戦闘艇の構成体フラッフィ、出来損ないサイボーグのゴトリなど脇役陣もそれぞれいい味を出している。豊富な情報量を巧みに見せ隠しして読者を引っ張っていく語り口の見事さ、円環構造をなす構成の隙の無さなどから、筆者は思わずディレイニーの『エンパイア・スター』を連想してしまった。ネビュラ賞を受賞した『落ちゆく女』のきめ細かさとはまた一味違う、マーフィーの筆力の冴えを堪能できるスペース・オペラだ。電脳空間もナノテクも出てこないオールド・スタイルではあるが、逆にそれ故に、ここには原初のSFが持っていた未知の空間へと乗り出すときの胸踊る気持ちが鮮やかに再現されている。