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2001年4月号

『フラッシュフォワード』ロバート・J・ソウヤー

『世界の終わりの物語』パトリシア・ハイスミス


『フラッシュフォワード』ロバート・J・ソウヤー

(2001年1月31日発行/内田昌之訳/ハヤカワ文庫SF/840円)

 昨年十月末に来日、本誌先月号で報じられた通り、精力的に日本のSFファンとの交流を行って好評を得たロバート・J・ソウヤーの第十一長編『フラッシュフォワード』が刊行された。邦訳もこれで七冊目となり、リーダビリティの高いハードSF作家として、日本でもすっかり評価が定着した感がある。

 二〇〇九年四月、ヨーロッパ素粒子研究所にある大型ハドロン衝突加速器がヒッグス粒子を発見するための高エネルギー状態を作り出したその瞬間、すべての人類の意識が二十一年後の未来に二分間だけ飛んだ。二〇〇九年現在から見れば、すべての人々が二分間だけ意識を失ったことになる。数多くの事故が起き、多数の死亡者が出る大惨事となった。素粒子研究所で働く物理学者ロイドとテオは、この意識が未来に飛んだ現象(フラッシュフォワード)の原因を何とか探ろうとする。本当に自分たちの実験がフラッシュフォワードの原因なのか、また、皆が見た未来のヴィジョンは変更可能なものなのか……。

 いつものソウヤー作品と同じく、冒頭から読者の心をぐっとつかむ巧い設定だ。魅力的な謎を提示しておいて、最新の科学的知見をもとに解決していく構成も従来通り。知的エンターテインメントとしての出来は悪くない。ただし、今回やや不満が残ったのは『ゴールデン・フリース』『さよならダイノサウルス』などの初期作品に比べて、謎の解決が伏線もなく唐突で、鮮やかとは言い難いところである。本来なら謎を解くため奮闘すべき主人公の物理学者たちが物語の終盤まで戦々恐々としているのは、未来の結婚相手が現在婚約中の女性になるのかどうか、未来の自分が誰に殺されるのかといった、余りにも人間的・世俗的な事柄(もちろんどちらも本人にとっては大問題であると思うが)ばかりであり、世界の真理を追究する颯爽とした科学者然としたところが少しもないのだ。別に颯爽とする必要もないのだけれど、それならそれで主人公を徹底して悩ませ、自由意志の問題をもっと追究した方がよほど面白い。『ターミナル・エクスペリメント』『フレームシフト』などの近作でも人間ドラマ重視の方向性が見えてはいたが、メイン・アイディアとのバランスはそれなりにきちんととれていた。本書は人間ドラマとしても謎解きSFとしても中途半端になってしまっている。かろうじて、物語の結末近く、ロイドが遠未来のヴィジョンを垣間見る場面にスケールの大きさが感じられるものの、ソウヤー作品としては少々切れ味に欠けるという印象を受けた。

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『世界の終わりの物語』パトリシア・ハイスミス

(2001年1月30日発行/渋谷比佐子訳/扶桑社/1429円)

 『世界の終わりの物語』は、『太陽がいっぱい』の原作者として知られ、九五年に亡くなった個性的なミステリ作家パトリシア・ハイスミス最後の短編集である。環境汚染、捕鯨問題、原発問題などのエコロジカルな題材を扱い思いきり諷刺を効かせた作品群は、筒井康隆の初期作品を連想させる、毒をたっぷりと含んだもの。真面目な人が読んだら憤然として本を放り出すような作品が多数含まれているが、実はそうした作品こそがSFファンとしては一番面白い。がんで亡くなった患者を埋めた墓地から巨大キノコが発生する「奇妙な墓地」、身体中に機雷を巻きつけた鯨が捕鯨船を次々と破壊していく「白鯨U あるいはミサイル・ホェール」をふむふむと軽く読み進めた筆者がまずうーむと唸らされたのは、政府が秘密裡に建設した原発を見学する政府職員が悲惨な目にあう「ホウセンカ作戦 あるいは触れるべからず=vだった。同僚を救おうと思っても、自ら作った機密の壁にはばまれて救うことができない。この如何にもお役所仕事的なシステムの矛盾を鋭く突いた作品が描き出す問題点は、一昨年日本で起きた原発臨界事故にもつながるものがあるのではないか。超高層マンションに巨大ゴキブリが発生する「〈翡翠の塔〉始末記」のリアリズムにもぞっとさせられたし、「〈子宮貸します〉対〈強い正義〉」では代理母の是非をめぐる論議が、「見えない最期」では老人介護問題が、それぞれ扱われ問題点が浮き彫りとなっている。諸問題を抱えた現代社会の断面を切り取って見せるハイスミスの手つきは本当に見事なものだ。馴染みのない作家だからと見過ごすには余りに惜しい、読み応えある作品集。お勧めである。

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