その後「巣」に始まる〈機会主義者/工作者〉シリーズがいくつかの短編と長編『スキズマトリックス』(八五年、ハヤカワ文庫SF)を残して終了した八〇年代後半からは、現実に根ざした舞台設定をとる作品が増え、SFと言うより近未来ポリティカル・フィクションと呼ぶべき作品が多くなる。国家や企業が解体した近未来を舞台に権謀術数が渦巻く『ネットの中の島々』(九〇年、ハヤカワ文庫SF)に代表される政治サスペンス色は、『ホーリー・ファイアー』(九六年、アスペクト)では薄れていたものの、近作Distraction(九八年)やZeitgeist(二〇〇〇年)ではしっかりと濃くなっているようだ。
前置きが長くなってしまった。ブルース・スターリングの第三短編集『タクラマカン』(九九年)は、近未来を舞台とした政治ドラマの面白さと「巣」に見られたようなSF的衝撃との両方を味わうことができる、注目すべき作品集である。
現代の日本を戯画的に誇張して描いてみせた「招き猫」、空飛ぶ人工クラゲが大量発生してしまう「クラゲが飛んだ日」(R・ラッカーと共作)などのユーモラスな作品も面白いけれど、本書の中で特筆すべきは、全七編中三編を占める〈チャタヌーガ〉シリーズであろう。これは、二十一世紀中頃、現在の自由貿易協定であるNAFTAが発展した北米経済連合、アジアを中心とする協力圏、ヨーロッパ連合(EU)の三大文化圏がしのぎを削っている近未来社会をリアルに描いたシリーズである。テネシー州チャタヌーガに住む政治団体メンバー、エディが使命を帯びてヨーロッパに渡りヴェンデと呼ばれる狂騒状態を体験する「ディープ・エディ」、エディの友人で自転車修理人のライルがチャタヌーガで巻き込まれた上院議員をめぐる陰謀を描いて初のヒューゴ賞受賞作となった「自転車修理人」、ライルの友人ピートがタクラマカン砂漠の地下をスパイして明らかとなったアジア協力圏の驚愕すべき秘密を描き二度目のヒューゴー賞を受賞した表題作、いずれもジャンル的には政治ドラマと言えるが、あくまでも政治的策謀は背景でしかなく、特に二作目までは登場人物の生活感溢れる近未来の日常を生き生きと、時にはユーモラスに描き出すことが主眼となっている。しかし、三作目「タクラマカン」では、雰囲気が一変し、人間対洞窟内部に巣食う自律システム型ロボットとの戦いをシリアスに描き出すことが主眼となる。これは、まさしく「巣」における共生生物対人間の構図を連想させるものだ。こうした人類とは異質なシステムを描くとき、スターリングの筆は冴え渡っている。また、テクノロジーによって睡眠欲や性欲など根源的な欲望を抑制した人間を淡々と描き出す、冷徹な手つきも鮮やかだ。本書は、スターリングの本質がよく表れ、小説的成熟を存分に楽しめる、優れた作品集と言えるだろう。
最新の科学的知見を作品に取り入れながらも、人間の思考や感情はいっこうに旧来のまま、繰り広げられるドラマはどこかで見たり聞いたりしたものばかりというSFが多い中、イーガンの作品には必ず「変化」があり「驚き」がある。テクノロジーの発達に伴う認識の変革を描くことがSFの中核であるとするならば、イーガンはまさしくSFの王道を歩んでいるのだ。いささか「自分」という存在にこだわり過ぎるきらいはあるけれど、認識の変革がまずは個人的に経験されるしかないものだと考えればそれも当然だろう。
本書に収められた全十一編を読み進めると、イーガンの題材の幅広さ、最先端科学に対する目配りの良さに感嘆せざるを得ない。毎朝目覚めると別の人物になっている主人公が真の自分を発見する「貸金庫」から始まって、遺伝子操作によって創り出された人間の子供に似た生物の悲劇を描いた「キューティ」、脳の中に埋め込まれたニューロコンピュータ〈宝石〉が人間の脳と入れ替わる「ぼくになることを」など、アイディア重視の初期短編における騙りの巧さも見逃せない。さらに、時間逆転銀河の発見により未来の自分からのメッセージを読むことが可能になる「百光年ダイアリー」や、ドラッグによって世界移転能力を手にしたドリーマーが作り出す〈渦〉を描いた「無限の暗殺者」などに顕著な、論理のアクロバットとでも呼ぶべき超絶のアイディア展開。とりわけ前者の時間逆転理論には『順列都市』の塵理論に匹敵するイーガン流マジック・リアリズムが遺憾なく発揮されている。そして、近年のヒューマニスティックな感動を与える作品、ウガンダで接触伝染病イェユーカの治療に当たる医師の決断を描いた「イェユーカ」や、幼い頃の宗教的な体験を心の支えとして生きてきた主人公の内面を描いてヒューゴー賞受賞に輝く「祈りの海」に至るまで、本当に粒揃いの傑作ばかりが並んでいる。あえてベスト3を挙げれば、アイディアの面白さで「貸金庫」、論理の凄まじさで「百光年ダイアリー」、描写のきめ細かさと感動の深さで「祈りの海」といったところだろうか。ともかく必読。早くも来年度ベスト候補作の登場である。