一六九三年のフランス。修道院での生活を終え、華やかなヴェルサイユ宮殿にやって来たマリー=ジョゼフは、神父である兄が海で捕らえてきた妖獣の世話をすることになる。大きな爪と水かきを備えた二本の腕、ふたつに分かれた尾ひれ、黒い髪と金色の目、グロテスクな顔を持った雌の妖獣は、雄の死体が目の前で解剖されるや否や、絶叫をあげた。徐々に慣れるにつれ、妖獣は獣ではなく、人間と同じように考え、感情を持つ生き物であると理解していくマリーであったが、王や宮廷貴族たちの同意は得られず、ついには妖獣は宮廷での料理に出されることになってしまう。何とかして、妖獣が人と同じ存在であり役に立つことを証明してみせなければ妖獣は殺されてしまう。果たしてマリーは妖獣を救うことができるのか……。
作者自身があとがきでも触れている通り、作者は「非常にうまい時と場所を選んだ」と言える。十七世紀は、全体としては中世が終末を告げて近代への移行が始まる時代であり、近代科学思想の萌芽が見られた時代である。しかし、絶対王政下のヴェルサイユ宮殿において貴族たちは連日の舞踏会や船遊びで骨抜きにされており、本書で描かれているように、妖獣を科学的に解明することよりも、見世物として楽しんだり、妖獣を食べれば自らの寿命が延びるのではないかとあらぬ期待を抱いたりしたであろうことは容易に想像がつく。その中で、唯一理性的な存在としてマリーが登場するわけだが、彼女は自然科学に興味を持ち、音楽・美術にも秀でた、宮廷の女性の中では異質な人物だ。妖獣を単なる獣としか見ていない無知蒙昧な輩と戦うマリーに、読者は心から共感することができるだろう(フランス版虫愛づる姫君と言うかナウシカと言う趣か。ただし、物語に『ナウシカ』ほどのスケールの広がりはない)。そう言えば、マッキンタイアの出世作である『夢の蛇』でも、主人公は蛇を連れた女性であったし、異生物との繋がりを持つ女性というのは作者お得意のモチーフでもあるようだ。
もちろん、貴族の中にはリュシアン伯爵のように頼りになる味方もおり、物語の主眼ではないにせよ、マリーと伯爵とのロマンスもきちんと描かれている。それまで修道院暮らしが長かったために抑圧されてきたマリーの自我が、妖獣との出会いを契機として目覚め、華々しく開花していく様子が、ちょうど中世から近代への移行期に当たる時代に重ね合わされて、マリーの魅力が一層増しているわけだ。ただし、マリーと妖獣との交歓は、あくまでもマリーの貴族的な地位が保証されていることが前提となっており、その辺りに本書の限界があるようにも思う。例えば、人間との関わりを極端に恐れ身を潜めている妖獣の社会が人間の蛮行に反旗を翻し、両者の戦闘が始まったら……とか、他国が海の妖獣の噂を聞きつけて攻めてきたら……とか、妖獣の捕獲によって安定しているはずのフランス王政が崩れていく可能性はいくらでもあったのだ。それを描かずに、物語を一人の女性と妖獣との交流に留めておいたところが、マッキンタイアの優しさなのだろう。まずは、華やかな舞台で生き生きと描かれるマリーの恋と冒険を存分に楽しんでほしい作品だ。
例えば、『火星年代記』をこよなく愛する読者にとって、金色の目を持つ火星人の若者が地球人の女性にかなわぬ恋をする「恋心」は感慨なくしては読めない作品だろうし、「四月の魔女」や「集会」(萩尾望都の漫画も傑作)など特殊な能力を備えた一族を描くファミリーものが好きな人には、老人の心の中に四人の若者の心が入り込んでしまうドタバタ喜劇「十月の西」冒頭に登場する少女セシイの変わらぬ姿に涙する者もいるだろう(どちらも私だ)。メキシコ、火星、サーカスの観覧車など、ブラッドベリは一度設定した舞台やモチーフを繰り返し使う癖があるので、作品をたくさん読めば読むほど読者は彼の世界に馴染んでいき、作品同士の共鳴効果によって魅力が増していく。
中でも、映画『白鯨』の脚本を書くため五三年にアイルランドに渡った際の体験はよほど印象深かったと見えて、多くのアイルランドを舞台にした作品が書かれ、独特の香気を放ってきたことは彼のファンなら先刻ご承知の通り。本書にも二篇のアイルランドもの「バンシー」「ご領主に乾杯、別れに乾杯!」が収録されている。特に前者はTVドラマ化されており、四年前にNHKで放映されたブラッドベリの特番でも流されていたので、ご記憶の方も多いだろう。また、往年の喜劇俳優に対するオマージュとして書かれた「ローレル・アンド・ハーディ恋愛騒動」から「またこのざまだ」(『瞬きよりも速く』所収)が派生するなど、近年の作に新たなモチーフの再現が見られることは、ブラッドベリの相も変らぬ旺盛な創作意欲の表れとして実に興味深い。集中のベストに挙げておきたい「生涯に一度の夜」に見られる瑞々しさも考え合わせると、年を取るにつれ元気になっていくブラッドベリの存在自体が、かつての名作「歓迎と別離」(『太陽の黄金の林檎』所収)に登場する不死の子供に重なって見えて空恐ろしくなってくるほどである。
他にも、家の中に潜む恐ろしい存在を描いて秀逸なホラー「階段をのぼって」「トラップドア」から、タイム・マシンを題材にした反SF「トインビー・コンベクター」、彼には珍しく性を扱った(と言っても老人の性だが)ユーモアもの「ジュニア」に至るまで幅広いジャンルの作品を収めて、従来の集大成であると同時に九〇年代半ばの復活への橋渡し的な役割をも果たす貴重な作品集となっている。
政府と企業が結びつき市場調査を行うための世論調査員が幅をきかせている近未来、より正確な市場調査を行うための社会環境シミュレーター、シミュラクロン−3をリアクションズ株式会社が完成させた。直後に会社の保安主任が主人公ホールの目前で消え失せるという事件が起きるが、彼以外の誰も主任を覚えていないと言う。不思議に思ったホールは独自に捜査を続け、やがてシミュレーターに関する驚くべき真相に辿り着く……。強烈なサスペンスで読者をぐいぐい引っ張っていき、一気に読み終えさせるエンターテインメントの見本のような作品だ。現実が崩壊してもディックのように自我崩壊までは至らないので安心して読むことができるが、筆者のように逆にそれが物足らない方もいるだろう。こうした定型作品があったからこそ、ディックが如何に独創的にそれを破壊していったかが良くわかる。歴史的な見地からも是非押さえておきたい一冊である。