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2000年2月号

『終わりなき平和』ジョー・ホールドマン

『幻想の犬たち』ジャック・ダン&ガードナー・ドゾワ編

『われらの父の父』ベルナール・ヴェルベール


『終わりなき平和』ジョー・ホールドマン

(1999年12月24日発行/中原尚哉訳/創元SF文庫/920円)

 『ドゥームズデイ・ブック』(九二年)以来久々のヒューゴー、ネビュラ両賞受賞に輝いたジョー・ホールドマンの話題作『終わりなき平和』(九七年)が刊行された。異星人トーランとの千年以上も続く戦争を描いた傑作反戦SF『終わりなき戦い』(七五年)と対になるタイトルで話題を呼んだわけだが、直接的な続編ではないので、お間違えなきように。著者によれば、以前とは異なる角度から前作のいくつかの問題点を考察し直した「ある種の継続性」をもった作品であるという。

 連合国とングミ軍との戦争が二十年以上も続いている二十一世紀半ば。テキサス大学教師の黒人男性ジュリアンは、他の徴募兵とともに毎月十日間軍の任務についている。十名一組で行動する彼ら機械士は、頭蓋に埋め込まれたジャックを通して互いに精神移入を行い、ソルジャーボーイと呼ばれる遠隔歩兵戦闘体を操作するのだ。戦闘の現場にいるわけではないので物理的な危険はないが、強烈なストレスによる心臓発作や脳卒中などが起きやすく、死亡率は高い。三年前に機械士の恋人を脳卒中で失ったジュリアンは、その痛手を癒しつつ、今は大学の同僚で十五歳年上の白人女性アメリアとつきあっている。彼女は、木星の軌道上に巨大粒子加速器を作るジュピター計画に関わっている素粒子物理学の専門家だ。宇宙の始まりを再現するという、この壮大なプロジェクトが完成に近づいた頃、計画の根本的な誤りにアメリアは気づく。ジュリアンは度重なる戦闘に疲弊しながらも、アメリアや同僚ピーターとともに、ジュピター計画中止のために動き出す。それは、期せずして「終わりなき平和」への道でもあった……。

 いやあ、これは面白い。凡百の戦争SFが、戦争という行為そのものへの懐疑を抜きにして、戦闘描写やキャラクター描写にうつつを抜かしているに過ぎないことを思うと、ホールドマンは明らかにその数段上を狙って、しかも見事に成功している。戦争への批判的視座のかけらもない戦争SFにうんざりしていた筆者にとって、本書は何より優れたアンチ戦争SFとして評価できる一冊だ。「おれ自身は、現場にどっぷり浸かっていることによって、どんな単純な事実を見抜けずにいるのだろうか」(五八頁)と、物語の冒頭で戦闘任務をただ淡々とこなしていくジュリアンは語るが、戦争の持つ真に重要な意味、即ち悲惨さと空しさは、ジュリアンの戦闘に明け暮れる日常生活をリアルに描写していくことによって徐々に浮き彫りになっていく。ナノテクを駆使してエネルギーから物質を作り出すナノ鍛造機、メディアを通じて戦闘を観戦するウォーボーイなど、現代風の味付けも鮮やかだ。悲惨な戦闘場面を描く際に、作者の無駄をそぎ落としたかのような乾いた文体はとりわけ冴え渡っており、例えば、コスタリカ北部での示威行動中に起きた惨劇の描写には、読みながら思わず息を止めてしまうほどの衝撃性、迫真性があった。これは、やはりベトナム戦争における作者自身の戦闘体験が影を落としているのだろう。自身が編者となった反戦アンソロジー「SF戦争10のスタイル」(講談社文庫)の序文でも暗示されていたように、戦争を消滅させるためには人間そのものの改変もあり得るとホールドマンは考えているようだ。本書後半に登場する平和への方法は、かなり強引で無理があるけれども、そこには偽らざる作者の願いが込められているのだろう。

 また一方で、本書は、孤独な人々が愛を希求する物語としても読むことができる。機械士であることにより他人との齟齬を感じるジュリアンと、精神移入ができないために不満を覚えるアメリアとのすれ違いは象徴的だ。戦争ではなく平和を。孤独ではなく愛を。つまりは、ラヴ・アンド・ピース。四三年生まれで、六〇年代に青年期を過ごしたホールドマンの、心の叫びが聞こえた気がした。

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『幻想の犬たち』ジャック・ダン&ガードナー・ドゾワ編

(1999年11月30日発行/福島正実・他訳/扶桑社ミステリー文庫/781円)

 扶桑社ミステリー文庫からは既に猫アンソロジーが二冊出ているが、今度は犬アンソロジーが登場した。J・ダン&G・ドゾワ編の『幻想の犬たち』は、戦前の作品を省く方針のもとに編まれた比較的新しい短編を中心としたアンソロジーである。

 新しいとは言っても、中には、男が愛犬とともに自らの形を変えて木星に降り立つシマックの「逃亡者」(『都市』第四話)や、荒廃した近未来で少年と少女と犬の三角関係を描いたエリスン「少年と犬」、ライバーのファファード&グレイ・マウザーものなど、余りにも高名な古典的作品も含まれているが、全十六編中九編が新訳であり、既訳の中には馴染みのない作品も多いので、購入する価値は十分あると思われる。集中のベストは、都市を離れて郊外で暮らす平凡な一家の生活を、突然銀色の犬が現れてかき乱すことになるケイト・ウィルヘルムの「銀の犬」。主婦の中に存在する不安な心理を象徴的に描いて秀逸であった。他には、改造されて知性を備えた犬と結婚した女性を描くダミアン・ブロデリック「わたしは愛するものをスペースシャトル・コロンビアに奪われた」、改造犬とともにシリウス星へ向かう探検隊が犬型エイリアンと出会うマイクル・ビショップ「ぼくと犬の物語」など、幻想的な作品が多かった猫アンソロジーに比べると、SFらしい作品が目につく。古来から犬は人類の友と言われるように、猫とヒトとの心理的距離よりも、犬とヒトの心理的距離は近い。猫アンソロジーに猫を改造してヒトに近づける話はないが、犬アンソロジーには、犬を改造して話ができるようにしたり、犬と結婚してしまったり、犬との友情を描いたりして、犬をヒト同様に扱う話が多く見られるのはそのせいであろう。ぞっとさせられる話やユーモラスな話、奇妙な物語などがバランスよく配置され、犬とヒトとの関係を様々な視点から描いた読み応えのある好アンソロジーとなっている。

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『われらの父の父』ベルナール・ヴェルベール

(1999年11月20日発行/阪田由美子訳/NHK出版/2400円)

 昆虫の視点からその生活を精密に描いた『蟻』や死後の世界を大胆に描く『タナトノート』などの諸作を以前本欄でも取り上げたことのあるフランスのベストセラー作家ベルナール・ヴェルベールの新作『われらの父の父』は、ミッシング・リンクの謎を扱った意欲作である。

 人類の起源を探る研究を続けていた大学教授がパリで何者かに殺された。教授はどうやらサルと人間の間をつなぐミッシング・リンクを発見し、公表しようとしたため殺されたらしい。事件の調査を続けるジャーナリストのリュクレスとカツェンベルグのコンビは、タンザニアのオルドヴァイ渓谷において、ついにミッシング・リンクの正体を知る。それは何と驚くべきことに……。

 現代での物語と三七〇万年前の猿人を主人公とした物語とが交互に語られ、最後に結びつく、いつもながらの構成の妙は鮮やかである。それにしても、ミッシング・リンクの正体がサルと××の雑種であるとの仮説にはぶっ飛んだ。なるほど一割、それはないでしょう九割といった感じなのだが、科学的にはどうなのだろうか。ヴェルベールの作品は今一つ奇説の説得力に欠けるきらいがあり、どうしても薄っぺらな印象を受けてしまう。本年春には猿人とヒトとを結ぶ新種として二五〇万年前のガルヒ猿人が発見されており、三七〇万年前ではミッシング・リンクとしては古過ぎるのではないかという気もするが、この発見は作品発表の後なので、まあ仕方あるまい。本書ではメイン・アイディアよりも、むしろ〈科学のホームズ〉との異名をとる大男カツェンベルグのキャラクターが面白かった。博学で、ライフルを突きつける相手にお茶をすすめるような徹底した非暴力主義者カツェンベルグと、小柄で行動的な女性記者リュクレスとのコンビは、なかなかいい味を出している。同じキャラクターでの続編を期待したい。

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