SF Review
Back to Homepage
『ディアスポラ』講義・レベル1
今年の海外SFベスト1も昨年に引き続き、グレッグ・イーガンの作品に決まった。過去七年のうち、イーガンは四回のベスト1を制したことになる。やはりこれはすごいことだよなあ。十二年前「貸金庫」を読んで仰天し、ひたすらイーガン作品を読み続けてきた一ファンとして素直に喜びたい。さて、イーガンの総決算であると同時にSFの総決算と言っても決して過言ではない大傑作『ディアスポラ』。ここでは本書をわかりやすく解説する講座を三つのレベルで進めていく。まずは、レベル1。イーガンなんて知らないよ、またはこれから読んでみようかなという初心者向けに、基本的な設定とあらすじを紹介しておこう。
時は二九七五年、既に人類は様々な形の変化を遂げていた。たとえば、肉体を捨てて意識をソフトウェア化し、ポリスと名づけられたネットワークに住む市民たち。市民にとっては、時間はスピードアップされ、通常の一年が八百年に当たる。彼らから見た現実世界の出来事は「不条理で気まぐれな制約だらけの、巨大でいりくんだひとつの障害物コース」(本書九四頁)であり、肉体に留まったままの人々(肉体人と呼ばれる)はどうしてその非合理さに耐えられるのだろうと不思議に思っているわけだ。同じくソフトウェア化された意識を持ちながらも、ロボット・ボディの中に入り込んだグレイズナーは、あくまでも外界との接触を重要視している。ポリスへの移住が可能となってから、ほとんどの肉体人が病気や老化のないポリスへと《移入》し、もはや地球には数ダースの都市居留地が残されているのみ。肉体人の中にも、改変をまったく認めない不変主義者から、人為的な遺伝子改変を行って水陸両生になったり翼を持ったりした改変態まで、様々な集団がおり、異質になってしまった集団同士は、架橋者と呼ばれる肉体人によって意思疎通できるようになっている。――とまあ、こんなところが基本設定だろうか。
確かにSF慣れしていない人にとっては、現実からの飛躍が大きく、とっつきにくいかもしれない。しかし、一つ一つの要素を見ていけば決して難解ではないし、むしろSFの設定としては古典的とさえ言える。人工知能の誕生、ソフトウェア化された意識、自らを遺伝子改変した人類、いずれも昔から多くのSF作家が取り組んできた題材であり、八〇年代にはギブスン、スターリングらサイバーパンク作家がこうした主題を好んで取り上げてきた。ただ、彼らがどちらかと言えばイメージ先行でこうした題材を捉えがちであったのに対して、イーガンは、より科学的な裏づけを重視しており、哲学的な深みがある。数学、物理学、情報理論に関する豊富な知識を駆使して論理を積み重ね、細部まで粋を凝らした描写は本当に素晴らしい。第一部冒頭、ポリス内で誕生した孤児ヤチマが意識を持つに至るまでの五十頁の圧倒的な密度とリアリティはどうだろう(科学的な詳細はレベル2参照)。ただし、描かれている内容は、強引にたとえてしまえば、生まれたての赤ちゃんが周りの大人たちに見守られながらカタコトを話し、自己を認識するようになるまでの出来事に過ぎないので、科学の苦手な人も安心してほしい。《コニシ》ポリスの市民であるイノシロウ、ブランカ、ガブリエルと、やんちゃな振る舞いをする孤児ヤチマとのやりとりはユーモラスで、微笑ましいほどだ。もしも最初で読みにくいなあと思った場合は、本書解説にもあるとおり、わからないところをどんどん飛ばして読み進んでいけばよい。優れた作品は様々なレベルで楽しむことができる。イーガン作品はどれもそうだが、科学的なレベルと情に訴えるヒューマン・ドラマのレベルとが実に巧く融合している。情感の水をたたえた科学の器。器の素材や価値がわからなくても水を飲むことはできるし、器に美を感じたっていいのだ。典型的文型読者である筆者は、手に負えないところはいつも「わけわかんないけどすごい」と思いながら読んでます。
さあ、第一部さえ乗り越えてしまえば、後はヤチマとともにひたすら前進あるのみ。頁をめくるたびに、長大なスケールでめくるめく世界が広がっていく。第二部では、百光年彼方にある中性子星連星が衝突して発するガンマ線バーストのせいで、地球が壊滅してしまう。肉体人をポリスへ《移入》させて何とか救い出そうとするヤチマとイノシロウに対して、肉体人は激しく抵抗する。残された時間は四日間しかない。ついに訪れる破滅の日。オーロラが広がり、稲妻が轟き、嵐が吹き荒れる地球の終末の風景は、圧倒的な迫力に満ちている。これは、まさしく地球的規模に拡大された『日本沈没』ではないか。第三部で太陽系の直径の二十倍以上ある(!)巨大な〈長炉〉を使ったワームホールの実験が失敗に終わった後(レベル3参照)、第四部で、ついに《ディアスポラ》計画が発動される。ポリス市民のクローン千セットを千万立方光年の宇宙へ送り出し他の異生命体との接触を図るという気が遠くなるほど壮大な計画だ。三百年後、ついにヴェガ星系の惑星オルフェウスで生命の兆候が発見された。惑星を取り巻く水の中には、果たしてどんな生命が存在するのか。こればかりは実際に読んで確かめてほしい。「想像できないものを想像する」(山田正紀)SFの本質は、第四部の後半で存分に発揮されている。十六次元の世界というイメージのあまりの強烈さに頭がくらくらすることは必至である。しかし、これこそがSFならではの魅力なのだ。このパートは独立した中篇「ワンの絨毯」として発表され、日本でも高い評価を得た。惑星を覆う海という設定からは、やはり異星生命体との接触を描いたレムの傑作『ソラリス』が連想される。比較してみるのも一興だろう。
第五部では、もう一つの異星生命体トランスミューターを追跡する旅が始まる。結末に至るまで、旅は続けられ、長い長い時が流れる。ヤチマとパオロが旅の終点で見たものとは……。いくつもの宇宙を越えていく果しない旅。茫漠たる時の流れ。海外ではステープルドンにたとえられる本書だが、日本SFでたとえれば、『果しなき流れの果に』と『百億の昼と千億の夜』を足して『宇宙船オロモルフ号の冒険』で割ったようなものだ。面白くないはずがない。最後にもう一度繰り返そう。『ディアスポラ』は、イーガンの総決算であると同時にSFの、われわれが愛してやまないSFの総決算なのだ。
ページの先頭に戻る