Since: 97/04/01                        I'm sorry, but my pages are Japanese only.

ヘッダーイメージ
Top Page
SF文庫データベース
 blog
(2011年12月~)
SFマガジン掲載書評(1995~2001)
最近の仕事
 Link
 Profile

ハヤカワ文庫SFの歴史 History of Hayakawa Bunko SF


ハヤカワSF文庫誕生

 一九七〇年八月、早川書房初の文庫として「ハヤカワSF文庫」は誕生した。五七年にハヤカワ・ファンタジイ(後のハヤカワSFシリーズ=以下HSFSと表記)が刊行されてから十三年、五九年末に〈SFマガジン〉(=以下SFM)が創刊されてから十年という時が経過し、ようやくSFという言葉も世間で認知されるようになっていた。六八年には世界SF全集の刊行も始まり、〈SFM〉初代編集長福島正実が目指した「レベルの高い知的エンタテインメントとしてのSF」を定着させることは、福島の思惑はどうあれ、ある程度は達成されていたように思われる。当時の日本は高度経済成長まっただ中であり、六九年七月のアポロ十一号による人類初の月面着陸、七〇年の大阪万博開催という二大イベントを通じて「科学技術を駆使した華やかな未来」の輝きが増していた時代でもあった。六九年八月より〈SFM〉二代目編集長となった森優(「M・M」なる筆名で巻頭言を執筆)は、時代の趨勢を敏感に感じとり、福島とは対照的な、思い切ったSF拡大路線に舵をきる。活字だけでなく漫画やイラストにも重点を置き、福島が頑ななまでに拒絶していたSFファンとの連携も行い、若年層をも取り込んだ形でSFの活性化を図ろうとしたのである。〈SFM〉には石森章太郎や手塚治虫のコミックが掲載され、倍増した読者投稿欄には柴野拓美(筆名C・R)によるファンジン紹介記事が連載されるようになった。こうした流れの中、より広範な読者の獲得に向けて、本格SF中心だったHSFSとは異なる、大衆向け娯楽作品中心の「ハヤカワSF文庫」が創刊されたことは時代の要請だったのかもしれない。しかし、意外にも当時は文庫刊行に対して編集部や取次が皆反対したという。その反対を押し切り刊行が決まるまでの経緯は、森優自身の回想に詳しく述べられている(創元SF文庫『キャプテン・フューチャー全集十巻』解説/〇六年)。印象的なのは、SF文庫の刊行を危ぶむ年配の取次会社の重役らを説得する際に森優が使った「立川文庫のSF版」という言葉だ。立川文庫は大正時代に刊行された青少年向けの講談本であり、『猿飛佐助』をはじめ忍者もので人気を集めた叢書である。これで皆が納得し、すんなりと企画が通ったというのが面白い。反対派を説得するための方便とはいえ、ハヤカワSF文庫の狙いがどの辺りにあったのかが良くわかる言葉である。ともあれ、野田昌宏の熱烈な支持と社長の英断によりハヤカワSF文庫の刊行は決定した。七〇年五月末発売の〈SFM〉七月号巻頭言にはこう記されている。
「山の頂上を目指すあまりに、その高さを支える広大な裾野を私たちは忘れてはならないでしょう。SFをその誕生以来つねにSFたらしめてきたもの――とどまるところを知らぬ奔放なイマジネーション、躍動的な若々しいバイタリティ、清冽な理想主義的ロマンチシズム――そうした本来、ロマンとしてのSFが保ってきた特質を失わぬ作品こそ、いつの時代でも必要です。(中略)SFにロマンを求める人びとすべてに、日本最大のSF専門出版社を自負する当社が贈る新しいシリーズ、ハヤカワSF文庫の誕生をお知らせします。」
 熱気溢れる文章である。森優が当文庫に賭けた意気込みがよく伝わってくるのではないだろうか。

創刊当時の特色

 創刊当初のハヤカワSF文庫の特色を挙げてみよう。第一に文庫であるため安価なこと。新書版のHSFSが三百円~四百円であったのに対して、文庫は百円~二百円台。若者にも気軽に手が出せる値段であった。第二に文庫すべてに口絵と挿絵がついており、しかもその絵が理解しやすい具象的なものであったこと。HSFSの表紙は誕生以来一貫して常に抽象絵画であり、キャプテン・フューチャーであろうがドック・サヴェジであろうがヒーローは一切具体的に描かれなかった。ペルシダーに至っては、エース・ブックスのけばけばしい表紙を真似して描いているのにわざわざ人間をそこから省いたために虎や象しか表紙に描かれていないというわけのわからない表紙になっている。これに比べて、ハヤカワSF文庫の表紙の分かりやすさはどうであろう。今回は全点書影つきの特集であるので、創刊当時の表紙をよく見ていただきたい。第三に、これは本質的な特色であるが、前章でも述べたように内容がスペース・オペラとヒロイック・ファンタジイを中心とした大衆娯楽小説路線であったこと。こうした特色が多くの読者に強くアピールしたのだろう。蓋を開けてみればハヤカワSF文庫は爆発的な売行きを示し、大成功であった。〈SFM〉七〇年十二月号の巻頭言には「発刊以来予想をはるかに上回る人気沸騰ぶりに、編集部としては驚いたり喜んだり」とある。
 実は、ハヤカワSF文庫は、早川書房としては初の文庫であっても、決して初のSF専門文庫ではない。本誌読者ならよくご存じの通り、六三年に創元推理文庫SFマークが誕生しており、こちらが日本初のSF専門文庫である。中でも六五年十月に創元推理文庫SFから発売されたバロウズの《火星》シリーズは、武部本一郎の流麗な表紙・挿絵とあいまって爆発的にヒットしており、創元はE・E・スミス《レンズマン》、バロウズ《金星》シリーズなどのスペース・オペラを、続々と口絵・挿絵つきで刊行していた(文庫四〇周年記念パンフでハヤカワSF文庫が日本初の口絵・挿絵つき文庫とあるのは明らかな誤りである)。早川書房としては、創元の成功に引きずられるような形で、HSFSからスペース・オペラを刊行したりしたのだが、先に述べたように価格や表紙絵などのフォーマットが内容と折り合わず苦戦していたという状況があったのである。従って、ハヤカワSF文庫の誕生は、社内的には「本格SFはHSFSから、スペ・オペは文庫から」という棲み分けを明確にすると同時に、対外的には創元推理文庫の独占市場に参入し切り崩していくという積極的な意味があったと言える。この役割が数年後には徐々に変質していくのだが、その辺り、順を追って解説していきたい。原則として五年ごとに分けて概観する。
Next
Back to History Top Page


ご意見・ご感想などありましたらyu4h-wtnb#asahi-net.or.jp までどうぞ。
お手数ですが「#」を「@」に変えてメールしてください。
Copyright (c) Hideki Watanabe, 1997-, All rights reserved